ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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授業の情報量の多寡

after school

授業の残り回数も少なくなってきて色々と言いたいことも山積みである。

授業のたった50分で何をやって何を話すべきなのかと迷う日々である。

情報が多くても…

少ないよりは多いほうがいい、多いほうが色々と授業のリスクヘッジしやすい……そんな安易な考え方で、情報量を増やす方向に授業準備していると、生徒の方には迷惑千万この上ないことになりやすい。

壊れるほど詰め込んでも三分の一も伝わらないのである。

もちろん、下調べや情報収集をやらなくていいということではないのだけど、集めてきたものを考えなしに垂れ流ししたらダメなのである。

ついつい、色々なことを教えたくなって話しすぎになりやすいのだが、生徒からすれば、あれもこれも伝えられたら情報の洪水にやられて何も身に残らない。溢れる情報に合わせて情報に取捨選択できればいいけど、実際にできていることはつまみ食いである。

『現代文と格闘する』みたいな問題集は完全に生徒にはオーバーフローなのである……。

 

現代文と格闘する (河合塾シリーズ)

現代文と格闘する (河合塾シリーズ)

 

 

だから、まことしやかに「具体例は飛ばして読め」とか「段落の初めだけ読め」だとかメリットどころか毒になるような安易な読み方に飛びつく受験生が出てきてしまうのだろうなぁ……情報過多になることで安易に走る生徒を出している気がして……自己嫌悪である。

情報が少なくてもよいわけでもなくて…

だからといって、生徒に「わかりやすく」するためだけに、情報を削って解説していてもダメだよなぁと思うこともままある。

そもそも大量の情報を処理して理解できるようになるには、たくさんの情報を読んで理解する練習をしなければいけないのだから。日常の授業で、日々の授業で、多くの情報に触れさせていきたいのである。

また、問題一つ解説するにしても、「わかりやすく」するために、必要最低限のことしか拾わないで解説していると、あたかも生徒は「わかった」気にはなるが、結局、自分で本質的な個所を見つけたり、情報を組み立てたりできるようにならないのである。

何がちょうどよりバランスかなんて、結局、その時々の生徒を見てということになるが……経験と勘なのか。一般化できないものかなぁ……。

結局、それが勘や感覚でやっていると生徒の自習には繋がっていかないので、「国語は自分では勉強できない」という言説に繋がっていくのだなぁ…と思う。

間違え方に寄り添って

答案の採点をしていると思いもよらない間違い方をしてくれる。

全くひっかけるつもりがなかった論理関係がめちゃっくちゃな選択肢が意外と選ばれたりしたときに、生徒の話を聞いてみると、こちらが想像もしなかった読み方してみたりと……。

ある入試問題で「ありがたかりけり」の訳を選ばせる問題で「蟻が集まってきた」なんて選択肢があったけど、大人から見ればそんなバカな…と思うような間違え方をしているのだろうな、きっと。

そういう間違いに出会った時に笑い話で終わらせてしまうのではなく、何を考えているのかを真摯に見ていかなければいけないのだろう。

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