何となく会議が多い。
そして会議の行方がイマイチつかめないし、何を決めているかもよく分からないことが多い。
何を話し合っているのだろうか。
その場で合議はあり得るか
教員だけなのか他の業種でもそうなのか自分の職場だけなのか分からないのだが、会議でとりあえず「みんなの意見を聞いてなんとなく決めよう」というやり方を取ることが多い……というか、それ以外は「決まったからよろしく」である。
まあ……ちょっと調べたところだと、そういうやり方は非効率という非難を浴びそうなやり方のようだけど……、まあ、それはいいとしよう。
しかし、根本的に「みんなで話し合って決めよう」は、あまりよろしくないんじゃないかと思わされる。というのも、結局、声が大きい人の意見しか通らない。声が大きいくらいならマシだけど、イライラをぶちまけて他人を攻撃する人間に周りが配慮ばかりして、ロクなことにならない。そして、声の大きい人は責任は取らない。
そんなバカバカしい合議があってたまるか……である。
色々なバランスを考えて気を遣う人ほど損をする構造である。
そもそも個人の意見で決めていいことなのか
色々な議題が会議に降りてくるけど、結構、困るのが「それってここで話し合って決めていいものなんですか」というもの。
そういう安易に決めたものが知らないうちに前例となって、毎年あたりまえにやらないといけないと思われて、変更するときには「前例を覆すのか」と意固地になる人が出てきてどんどん変な前例ばかり蓄積されていく。
色々なものを総合的に考えなければいけないはずなのに、その場で決めたことばかりが何となく残り続ける。そして、それを変えることが難しいのだから、困ったものだ。
特に校則のたぐいは余りに教員の恣意的な運用でコロコロ変わるのに、無くそうとはしないで意固地になるのだよなぁ……。
全体を見る人が…
リーダーの不在なんて安易なことを言いたくはないが、ちゃんと全体を見て、方針を示して、それに対する責任を負う人が誰なのかが曖昧だと、結局、なあなあになんちゃって話合いをするしかないのだろうと思う。
誰がどうやってそういう立場に立つのだろう。
自分から手を挙げるものでもなかろう、それはただの声の大きい人だ。
強いリーダーは誰が育て、どうやって現れるのだろうか。