ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

随筆の前に立ちすくむ…

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時間があるので次年度以降に向けて色々と読めるものを読んでいます。

特にあまり日常生活していると随筆に親しみがないので……意識的に読むようにしています。ちょうど図書館によいものがありまして。

日本の名随筆 (1) 花

日本の名随筆 (1) 花

 

100冊近くシリーズでまとまっているので非常に参考になります。一編一編も掌編と呼ぶくらいの作品であるので、好きな作品をサクサクと読めるのです。

随筆の面白さは…

随筆は論説とも小説とも違って、表現の面白さもあれば説得されるような論理の鋭さもある。まあ、小説と評論の中間のような性質である。

それだけに授業で取り扱う時に、案の定苦労するのが随筆である。生徒にとっても何となく読みにくいし、教える側にとってもどこに力点を書ければいいか掴みかねたり……。

高校の随筆と言えば「水の東西」(…これは評論扱いで教えられている気もするが)や「ミロのヴィーナス」(「手の変幻」)などが定番教材にあるけど……どちらも生徒には「興味ない…」と冷たくあしらわれがちだし、評論のように「二項対立が…」なんてやってしまったら、「随筆」としての魅力が台無しである。

随筆だからこそ、筆者の言葉選びや表現の工夫に面白さがあるし、論理構造から説得されるというよりは、心情的・共感的な訴えかけに説得される部分も大きい。

そういう言葉による表現なのだが、言葉を超えたところに面白さを感じる随筆は扱い方に苦慮するのである。

そういう観点から見ると、東大の文系の第四問は随筆を毎年素材に作問されているが、筆者のものの見方や表現の面白さをきちんと説明させる問いになっていて流石だよなぁと思ったりもする。もちろん、その問題の解答を考えることがそのまま高校の授業の素材にはならないし、入試問題の解答のように良さを説明するのも野暮だし……なかなか、扱いが苦しい。

そもそも絶対量が

思うに、そもそも随筆を読む絶対量が少ない。授業のカリキュラムが油断していると評論8、小説2、随筆1くらいになりがちだし、入試問題でも随筆は決して多くはないし、当然、生徒の読書で随筆を好んで読むという例は…自分は見たことない。

よくよく考えると随筆を読むという経験は絶対量が不足しているのだなぁと。

でも、意外と社会人となって読む機会が多いのは、随筆・エッセイと呼ばれるジャンルのような気がするし、こうしてブログだって随筆の一種な訳で、身近なところにある言語文化なんだろうなぁ。読むに限らず、日常会話のレトリックなどにも関わって来そうな気もするし……まあ、素材として豊かなのだろう。

こうして地道に掌編の随筆を読んでいると、長さとしてもさくさく読めるし、色々なものの見方を知ったりレトリックを効果的に学んだりするのに、帯単元で使えるかもなぁ…なんて思ったり。

随筆をどう扱うべきか……。切り取り方に自由度が大きいだけに何を考えてやればいいのだろう。

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