次年度に向けての準備を少しずつ取り組んでいます。まあ……この先の人事でひっくり返る可能性はあるけど、自分のやりたいことは多分変わらないし、下準備を淡々と……。
やりたいことは山ほどあるけど
ここ数か月、自分の授業がないので他の人の授業に出向いたり、色々な実践論文を読んだりしているおかげもあって、やりたいことがだいぶ増えてきた。
ただ、やりたいことに比して、授業時間を予想してみるとびっくりするくらい少ない。そりゃあ、そもそも単位数が多くないのだから当たり前である。高校三年生だけたまたま授業数が多かっただけで、一年生は……仕方ない。
そもそも、一から授業開きしていかなければならないので、今年度のように気心が知れた状態で取り組むことはできないのである。どこまで生徒に国語は楽しいものだとスタートできるかが一学期の課題だろうなぁ……。
毎年、少しずつ初期指導の期間が長くなっている気がするが、そういう時間の使い方も大切なのだろうと思う。教材を消化することに焦ってしまって、何を学ぶのか、何をやってきたのか、生徒に自覚されないような惰性に陥らないためにも……。
よい授業をしたいと願うけど
自分の授業をよいものにしたいという気持ちはある。
だから、そのためのお金と時間の投資は惜しむ気はないけど、そうして我慢強くやるだけでいいのかなと思うことはある。
努力だとか修行だとか言いがちだけど、そういうメンタリティを持っていると、つい生徒にもそれを迫りがちである。それもたぶん良くないのだろうなぁ。
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年2月25日
「こんなに準備しているのに」「こんなに考えているのに」みたいな態度が出てしまうのではないかと……自分のことが信頼ならない。
授業づくりに対して覚悟を決めて取り組まなければいけないこともあると、前にも紹介した以下の本を読んでも思うのである。
中学校 国語授業づくりの基礎・基本 学びに向かう力を育む環境づくり (シリーズ国語授業づくり)
- 作者: 安居 總子,甲斐 利恵子,日本国語教育学会
- 出版社/メーカー: 東洋館出版社
- 発売日: 2018/08/09
- メディア: 単行本
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相撲の横綱に備うべき七格があるように、国語教師の備えるべき人格(人間力)もある。教師は、学ぶ人――読書人・好奇心旺盛な人・発想力、着想力、構想力で学びをつくり、学習者と共に学び合う人、役割を自在に使いわけられる人――教える人・リーダー・コーディネーター・支援者・管理者・モデル・職人・マネージャー・将帥でありたい。(P.20)
安居總子先生の言葉だけど、さすがにこれまで芯を通し続けてきた方の言葉は重い。
また、同書で甲斐利恵子先生は以下のように「供してどんな言語生活者であるべきか」という問いに答えている。
- 豊かな読書生活を送る人。
- 言葉に敏感で、言葉を大切に使う人。
- 好奇心旺盛で、行動力がある人。(P.110)
こういうところを目指さなければならないなあと思うので、色々なものに触れるように過ごしてきたつもりである。しかし、三年間を振り返るとこれでもまだ足りないという気持ちがある。
一種の修行だよなぁ……でも、そういうメンタリティがいつか生徒にそれを押しつけそうでなかなか怖いところである。
また、甲斐先生は「国語教師力を高めるには?」という問いに対して、次のような答えを述べている。
- 「師匠」に出会う。
- 「師匠」の実践を自分の授業に取り入れてみる。
- 自分の実践を語れる場、批評してもらえる場に身をおく。(P.112)
一人では行き詰るのである。そしてこじらせるのである。
自分がちゃんとまっすぐと生徒にとってよい授業を目指すのであれば、勉強する場所に身をおかなければいけないし、一人でやっていてはダメである。自分から出かけていかなければ…ね。