ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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【リレー企画】「ALPを用いた模擬授業の振り返り」にコメントします!①

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以前に「アクティブ・ラーニング・パターン」というツールを用いた、授業ふり返りを提案していました。

www.s-locarno.com

たまに思い出したときに少し記事を書いていましたが、生まれ持っての不真面目のために、ほとんど活用していない状態でした。そんな提案者を尻目に、横浜国立大学の石田喜美先生が、ALPを用いて国語教育を目指す学生達の授業実践をなさってくださいました。

kimilab.hateblo.jp

その実践からALPの活用について以下のような非常に現場の教員にとっても刺激的な提案をされています。

「大学内の授業ではこのくらいのレベルまで、『観察』や『振り返り』の視点を持てるようにしておいてほしい」というディスカッションをはじめるためのスターティングポイントになりえるのではないか

せっかく、自分の書いた記事に反応してくださり、このような実践と提案をしていただけましたので、学生さんの書いたブログに現場の教員という視点でコメントしてみたいと思います。それによって、「現場と学生をつなぐディスカッションのスターティングポイント」の可能性を探る手がかりになったらよいなぁと思います。

 

なお、とりあえず個別の授業についてのコメントを書いた上で、最後に「総括編」という形で、5つ全体を通したコメントを書いてみようと思います。

まずは第一弾から。

ynukokugo.blogspot.com

ALPカードの視点から

一つ目の記事では以下のようなふり返りが述べられている。

全力で考えたことをしっかり目に見える形で残してあったからこそ、素直に自分の文の改善点を見つけられて、今後は気を付けようと身に染みたのだと思いました。頭の中で考えただけだったら、確実に「私もこんな感じのこと考えてたぞ~」と振り返りが甘くなっていたと思います。

溝上慎一先生はアクティブラーニングを以下のように定義している。

一方的な知識伝達型講義を聴くという(受動的)学習を乗り越える意味での、あらゆる能動的な学習のこと。能動的な学習には、書く・話す・発表する等の活動への関与と、そこで生じる認知プロセスの外化を伴う。

アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換

アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換

 

この定義では「認知プロセスの外化」ということが強調されているが、今回の学生さんの振り返りは、この「認知プロセスの外化」ということの重要性を実感したと言えるだろう。

生徒の頭の中で考えていることは、外側から推測して見取ることは難しい。というよりもほぼ無理だと言っても過言ではない。

個人的には授業が上手くいくかどうかということは、生徒をどれだけ正確に見取ることができるかにかかっていると思っている。おそらく、ベテランの教員と新人の教員の大きな違いは、この生徒を見取る力の差が大きい。

もちろん、生徒の力を見取るということは、当て推量の経験則ではない。色々な形で表れてくる生徒の姿から、今の状況を適切に判断することだろう。

「言語活動」は油断すると「活動」だけで終わり、「何をしたのか」ということが曖昧にされやすい。

だからこそ、意図的な「可視化」と「可視化したものに対するフィードバック」の重要性は、国語科であれば特に意識したいところである。だからこそ、こうして自分の模擬授業のポイントをALPで「可視化」したことも大切ですよね。

学生さんは「当たり前のことかも…」とコメントを述べていますが、自分が実際に言語活動を経験して、その結果、どのような思考のプロセスで、可視化が重要なのかということを実感したのかということが重要だと思います。その思考の動き自体が、授業において、生徒に辿らせたい思考の動きになるわけですから。

今回の記事からは「共有」の仕方の詳細は分かりませんが、小中学生に「共有」をさせる場合には、大学生以上に「可視化」の工夫は必要です。大学生であれば文面を見せ合うことで十分に活動として成り立ちますが、小中学生であれば観点を与える必要が高まります。

自分が行うのであれば、例えば「誤字は青ペン」「表現を工夫したほうが良いものは赤ペン」などのように指示を出すのかなぁとぼんやりと思います。

国語科の視点から

脇道に話がそれますが、ブログの文体が「である」から「ですます」へ変化しています。これは書いている途中で想定される読み手が変わったからです。具体的に言ってしまえば、抽象的な「読者」に対しては論文ほど厳密に書く気はないとしても、それなりに型に嵌まって「である」調で書いていますが、色々とドキドキしながら模擬授業に取り組んだ「学生さん」がこの記事を読むかもしれないということを考えると、あまりキツい言い方をしたら可哀想かなぁ…という意識が働き、後半では口語的な表現や「です・ます」調へと変わっています。

何を言いたいかというと、今回の課題の設定が「教授にメールを書く」というのが、自然とそういう「相手意識」を限定する課題になっており、なおかつ大学生にとっては「リアルな」(真正性がある)課題になっているのがよいですね。

また、これが「手紙」でもなく「電話」でもなく、「メールを出す」という素材なのが面白いところです。

メールの文面に対しては比較的、個人間で「何が丁寧で何が失礼か」ということに揺れ幅が大きい印象があります。そもそもメールで欠席連絡が失礼であると思う人もいれば、あまり用件の前に長々しい挨拶を書かれても鬱陶しいと思う人もいます。

だからこそ、共有を通して、個人の「何が丁寧で何が失礼か」ということの差が明らかになるのが面白いのではないか。

国語の教員を目指す人間にとって、「どのような言語経験が今の言葉に対する考えを生み出しているか」ということの手札を増やすことは重要だと感じている。だからこそたかがメールの「丁寧さ」の感じ方の個人差とはいえ、その差の背景にある言語体験の違いまで掘り下げて話し合ってみるのもよいのではないかと思います。その言語経験の差の自覚は、さらに次の言語活動の学習材化の手がかりになるはずですから。

実際に授業を行って、単元化をするときには、同じ活動をして生徒の反応が「ズレる」ものを、その「ズレ」の背景を考えることで、次の単元が思い浮かぶことも多いのです。

コメントを書いてみて

目の前に実際に模擬授業をした方がいないのに、その文脈を離れてコメントするのも難しいですね。文体が迷走しているのもその辺りの心情の表れです(笑)。

ALPカードを媒介に話してみたいこともあれば、教科の視点から話したいこともあり、ややもするとやっぱり教科のことばかり話している(笑)ので、かえって教科が違う人の方がフラットにALPを活用できるのかも?

ぜひ、他教科の方、企画に乗って下さることを期待しています(特定方向への謎のプレッシャー)。

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