最近、SAMRモデルと縁がある。
と、いうのも以下の野中潤先生の編著の本やその関連イベントで何度もお目にかかっているからである。

学びの質を高める! ICTで変える国語授業 ―基礎スキル&活用ガイドブック―
- 作者: 野中潤
- 出版社/メーカー: 明治図書出版
- 発売日: 2019/02/07
- メディア: 単行本
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前回の書評記事でも引用した上の本のSAMRモデルの内容を以下に示す。
教育ICTの導入によって何が起こるかについての見通しを立てようとするなら、SAMRモデルが有効です。(中略)Substitution(代替)、Augmentation(拡張)、Modification(変容)、Redefinition(再定義)の4つの段階からなり、それぞれの言葉の頭文字を取ってSAMRモデルと呼ばれます。(P.3)
なかなか文字面だけ眺めていても分かりにくい。自分も上の本を読んでいたり豊福先生の話を聞いていたりしていないと全く理解できなかった。
教育のICT化を考えていく上で間違いなく有効なモデルであります。だから、ぜひICTと縁遠いと思われる国語科*1の授業の具体的なイメージが持てるといいなぁと思っていました。
そんなところに、今月の『月刊国語教育研究』(No.563)で、お茶の水女子大学附属中学校の渡邉光輝先生の「一人一台端末環境は中学生の情報活用をどのように変えたか」という論考が非常にそのようなニーズに応えてくれるものでした。
国語科とICTの接続について
SAMRモデルに入る前に、渡邉先生の論考ではICT化が必要になる背景の解説と国語科において「情報」を扱うことの意義を端的に論じている。
自分のようなデジタルネイティブ世代だと、ICTを活用することや情報を授業で扱うこと自体にそれほど心理的な障壁はないのだが、意外と「そういうことは国語の授業ではない」と距離を置こうとする話も目にする。
短く簡単にまとめた論考ではあるが、安居總子先生の「情報として読む力」という概念を引きながら、「情報の消費者としてではなく、再構成、創造の担い手(生産者)」(P.17)を国語科の授業で育てることの意味を述べている点が重要である。
ICTの有無はともかく「知的生産」ができるようになることの下支えとして、国語科の果たす役割は大きいだろうと個人的には思っている。
大学の授業で行うことと高校までの国語の授業が担うべきことは必ずしも同じではないし、大学の授業の先取りのようなことをするべきではない。しかし、知的な生産活動と無縁でいるのも無責任だろうと思う。
そのような時に「情報」との向き合い方は、もう少し考えなければいけないことだろうとぼんやりと考えているところである。
SAMRの段階と知的生産
話が論考から他所にズレたようだが、実はSAMRモデルを用いて授業を考える時に「知的生産」ということは切っても切り離せないだろうと思う。
先に、渡邉先生の論考の概要を以下に示そう。
今回の論考では上述の話に続いて、SAMRモデルの紹介が行われ、さらに渡邉先生がお茶の水付属中学で実際に実践された「一人一台端末環境での情報活用」の授業が紹介されている。しかも、面白いのがSAMRモデルの「S代替」「A拡張」「M変更」のモデルとなるような実践を紹介してくれているのだ。
例えば「S代替」では電子書籍を紙の本に代替する実践が紹介されており、「M変更」ではG Suiteを用いたことによって従来とは異なる学び方を実現している実践がされている。
それぞれの実践について「ICTの効果」という項目を立て、実践の成果を分かりやすくまとめてくれている。それぞれの詳細については、実際に雑誌を手に取って読んでもらいたいが、「実践から見えてきた変化と課題」というまとめでは
- 扱う情報量が増え、質が多様化する
- ICTは思考や表現を支援する
- ICTは協働的な学習に強みを持つ
- ICT環境になじむことで情報活用が加速する
ということを挙げ、それぞれを詳述している。
これらの内容から自分の考えたことは以下の通りである。
- 「S代替」段階や「A段階」ではICTによって新しく出来ることも増えるが、基本的には現在の授業の延長線上にある。
- S、A段階でも出来ることは相当に増えるが、その分だけ問題も増える。
- 「M変更」段階となると、生徒の出来ること自体が大幅に増えるために、授業の活動自体が飛躍的に変わる。そのために授業自体の設計から考え直す必要も出てくる。
- 「M段階」となるとICTの強みが前面に出てくる。裏返せばICTの問題も顕在化する可能性が高い。だからこそ、S、Aの段階の問題をクリアしていくことは必要なのではないか。
というようなことである。
やはりICTの活用を突き詰めていくと、授業づくりの方法も含めて、授業全体を考え直す必要があるのだろうと感じる。
その際にキーワードとなるのが、上述した「知的生産」ということなのではないかと思うのである。
ICTを使うことで場所の制約も時間の制約も低くなり*2、表現へのハードルもかなり低くなる。それによって今まで以上に生徒からのアウトプットを期待することができるが、目的のないアウトプットほど空疎なものはない。
また、表現が簡単だからこそ、自分の深い思考を行うことよりも瞬時に反応をもらえる方向へと傾きかねないのである。
今こそ愚直に、深く考える、深く表現するということを、授業の中で取り組むということを大切にしたい。