今週のお題「卒業」
国公立の後期の発表も明日でほぼ全てが終わる。
こうしてやっと三月一日に卒業式が終わったはずの高校三年生との本当のお別れとなるのである。
新しく、教員も教え子もそれぞれの役割をそれぞれの場所で果たすのである。
別れには敬意を抱いて
一緒に過ごしてくると色々なことがあるし、諍いになることだって少なからずあるのである。
それでも最後はお互いによい思い出であったと健闘を称え合いながら、別れを惜しむものである。
入試の結果はよく出ることもあれば、路頭に迷うこともある。それでも、本気でやれるべきことに取り組めたのであれば、子どもに対して大人は敬意を持って接するし、子どもだって大人に対して敬意を持って接してくる。
やりたいこと、やれることを踏ん張ってやりきれるかが、やはり大切なのだろうと思う。そして、最後までやりきるためには、適切なサポートが必要なのだろうと思う。
チャンスを自分から手放すパターンの多いこと……。
もっとやれることがあるのに勿体ないと思うのである。そして、ギリギリまでやらなかったことは、尾を引いていくのではないかと心配で仕方ない。大きなお世話か。
次の準備を進めていく
相変わらず、どこに自分が向かうのか分からないのだが、淡々と次年度の準備を始めている。なかなか相手にする生徒が見えてこないと、自分の授業で何をやりたいのかということも形になっていかないのだけど、それでも「あれがやりたい」「これがやりたい」ということを地道に考えている。
ホームルームではやっぱり生徒を手厚く寄り添っていきたいと思うし、授業では色々と生徒に合ったことを試したいとも思う。でも、一方できっと仕事が回らないような予感もあって不安を感じていて、どこまでやれるのだろうという不安もある。
いくらなんでも仕事がバランス偏りすぎだろうと最近の思うことも多くなったのだが……。
今の生活が時間があるせいか、一つ一つの授業についても丁寧に見てあげたいなぁという気持ちがあるが、今の時間的余裕のノリで普段教えている生徒200名分をやっていたら確実に労災認定されてしまうので、どこで線を引くかが難しい。
科目の授業数が減らされていることが確定しているため、よりシンプルなことをやっていかなければ、効果的なことは難しい。
欲張りになりながらも、必要なこと以外を捨てることをしっかりとやっていかなければいけない。自分の独りよがりになってしまってはダメである。
惰性への誘惑
色々とあるのだが、過去に使った教材や単元を用いて授業をすれば、準備の手間は大きく減らせる。
しかし、それを今の自分がやってしまうと、このままずっと惰性で同じことをやり続けてしまいそうな気がするのである。
自分の作った単元を追試するのはもっと後で良いのだ。
ちゃんと人数も違えば能力も違う生徒達に対して、身体が健康で言うことをきいてくれる今だからこそ、しっかりとよりベターなものを提供できるように授業作りをしたい。
自分自身の持っている手札を、一旦封印して……柔軟に発想して思い切ったことをやってみたいな。