ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

独り占めしても仕方ない

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とんぼ返りの日程で無茶を言って見学に行ってきました。

また、詳しくはパソコンのあるところでまとめようと思いますが、今は別の感想をあっさりとまとめておきます。

教育は教員の占有物でもない

教育基本法が別に教員だけを縛り付けるものではなく、教育全般に関わるものであるのと同じように、子どもたちを育てるということは教員の占有物ではない。

こんなことをいうのも、生徒相手にとても面白くスキルや考え方を教える企業の方の姿を目の当たりにしたからである。

教科書に書いてあるようなことを安定して教えるのは教員の強みかも知らないが、教科書を離れ、広汎なスキルを伝えるということについては、教員でなくても仕事として実感を持って実践していることだけあって、むしろ、迫真の説得力があるのだなぁと思う。

企業の研修の下請けに学校の授業が成り下がることは勘弁願いたいが、別に様々なスキルを教員だけで教えようと無理しなくてもいい。

手放せるものを手放していくことで、自分の仕事として専門性を発揮すべきことに力を割くことが出来ればいいんじゃないかな。

もっとシンプルにやれることは多いはずだから。

学校の外の資源を貪らない

学校の外にも学べることが多くあり、学校に関わってくれようとする人は多い。

そんな時に学校がやってしまいがちなのが、その外部からの支援を食い潰すような、仕事の丸投げである。

たしかに色々と外部の心ある方々は子どもたちのためにやってくれる。でも、それに丸投げして何もビジョンを示さない、何も力を貸さないなんてことやっていたら続かなくなるんだろうと思う。

どうして外から学校に入ってきてくれるのか、どうして子どもたちの成長を大切に思ってくれるのか、そういう観点を見失ってはいけないんだろうなと。

教員は自分が日常的に「持ち出し」が多く、それが当たり前だと思っている節がある。でも、それを他所の社会にまで当たり前だと言ったら……。そもそも「持ち出し」で仕事していることが異常なのだ。

自分はこの辺りの折衝に自信はない。ただでさえ、新しいことをやろうとすると反発されるし、やるなら全部、用意してから提案しろと迫られる事例が多いだけに……そんな失礼な話を外部の方と折衝できる訳がない。

学び方は様々にある

プロジェクト学習を見ていると、子どもが生き生きとしているので、安心する。

別に侃侃諤諤に議論する姿が良いのではなく、それぞれの子どもにちゃんと持ち場があり、学んでいる瞬間が見えるのがよいのである。

もちろん、どんな力が保障できるのかということを考え続けないと、すぐにおままごとのような表面的なごっこあそびに堕する。

それでも、子どもたちが自分でどう学ぶかくらい決める、任せられる形は作れると思うのである。

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ここで紹介されている、ミネソタニューカントリースクールのように全部をプロジェクトで徹底して学力も保障する…なんて極論は当面は我慢するけど、もっとこまかく、色々な場面で、生徒に任せられると思うのである。

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