考査が迫ってくると一回一回の授業に焦りが出てきますね…。
一つ一つが手探りである
自分の国語の授業の根底は「大量に、話し、聞き、書いて、読む」ことである。授業の中で「話す」「聞く」「書く」「読む」の全てにきちんと毎回取り組ませることにしている*1。
そうそう簡単に言葉を練り上げることは出来ない。
だから、一回、一回の授業が上手く回るかどうかは、生徒たちがどれだけ準備してくるかにもかかっているし、生徒たち自身がよりこだわって表現したいと思わないと、なかなか授業の質自体も高まらない。
まあ、そんなこともあって、今は一つ一つ、どうやって準備したり何をこだわったりするのがよいのかを教えつつ、授業自体の取り組み方を覚えてもらおうとしている。
中学校までの授業の様子を聞くと、シンプルな一問一答で答えが出るようなことが中心だったそうで、内容を掘り下げたり自分の普段の生活に関連付けたりしながら、じっくりと言葉を考えるということが多くなかったそうだ。
一言一句にこだわって、色々なことを考えるという授業に少しずつ慣れてもらおう。
自分で読む、自分で書く
結局、最後は自分で成果を引き受けなければいけない。
いくら授業の中で話合っても、確固たる個の学びがなければ学習の質は高まらない。授業に何となく参加して、何となく答えを聞きましたでは困る。
答えを教えなければ、生徒が自主的に学ぶというのは幻想である。
話合いをさせるならば、絶対に失敗させないための手立てを準備しなければならないし、予習をさせるなら家に帰って困らせないような手立てを準備しておかなければ、自分で勉強なんてできない。
そして、本当に価値のある協働ができるには、人間関係だって出来上がっていなければ無理だし、一人一人がもっと一回一回でレベルの高い取り組みが出来なければ、そう簡単に結果はでない。
その一つ一つの準備が、今なのである。
実際にやってみて、至らなさや不満足さや分からなさを経験して、自分でそこからもがくことを練習しなければ、協働で学ぶ訓練にならない。
ノートで指導し、授業で介入し、復習の指示を出し……かなり強力に介入しながら、生徒自身が自分で最後は取り組むという形で運営している。
答えを分かりやすく教えるなら一回で済む話を、自分たちで手順を踏ませているから重い。
気持ちがあっても行動までは遠い
やってみせ褒めて聞かせてやっと授業に対して生徒も危機感を持つようになり、少しずつ自分たちで試行錯誤するようになってきたが、まだ、行動できない生徒は多い。
授業だけで完結できればいいのだろうけど……授業が週に2回しかないとなれば、色々な連絡や確認テストをしていると、話合いの時間は正味週に60分程度である。週に60分で力を伸ばすのは厳しい。
だから、少しずつ、毎日、読んだり考えたりという習慣をつけて欲しいのだよなぁ……。結局、そうやって少しずつ考える習慣がついてくれれば、それは大学でも社会でも生きてくる習慣になると思うが……現実はなかなか少しずつというのが難しいものである。
少しずつ気長に、生徒に働きかけて、生徒の習慣を変えていこう。
*1:単元の目標としての領域とは別。