ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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先は長く…

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話合いの指導はなかなか手こずると改めて思い知らされる。

高校の「話すこと・聞くこと」

話合いで最も重要なのが、お互いの関係を悪くしないことだろう。

何かを表現して伝えるということには、大きな重圧がかかる。だからこそ、「話す」よりも先に「聞く」があるし、その指導が重要だと思っている。

きき方の理論―続・話しことばの科学

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対話的に学び「きく」力が育つ国語の授業 (国語教育選書)

対話的に学び「きく」力が育つ国語の授業 (国語教育選書)

 

まあ、春先から色々と「きく」について、実践例を集めつつ、どう指導するものかと思案していたが……いかんせん、実践の多くは中学校か小学校なのである。なかなか高校とはならないし、高校の実践も国語表現が多く、入門期の指導ではない。

今年の高校一年生は「移行措置」に当たっているので、「現代の国語」をどうするかということも頭の片隅に入れながら考えているが、実際、「現代の国語」の配当時間に対して、効果的な指導について思いつかない。

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年間で「20~30単位時間」となっているが、相当に計画的かつ戦略的に取り組まないと持て余すだろうなと思う。

学習指導要領事態が、かなり細かく過程を示したものになっているので、助けにはなりそうであるが、どうしても音声指導は「話す・聞く」がセットであるし、指導で目的にするものだけを取り立てて練習するのは難しいのである。

戦略なく20時間やらせても間延びしてダレるだけである。

お互いの聞けなさ

話合わせてみれば分かるが、話を聞いているようで聞いてない。

一見するとよく活動しているように見えるが、姿勢が悪いのである。聞いているようで身体の向きが明後日の方向を向いていたり、相手に気が向いていない。

何といいますか、言語化しにくいところですが、聞くことの集中力は傍で見ているとよく分かります。自分が話していて相手が聞いてない、自分がないがしろにされていると感じるのと同じように、全然、聞いていないという空気は感じ取れます。

言語化できていないからこそ、上手い指導の手が思いついていないとも言える。

身体性ともいうべきか…。

アクティブラーニング型授業の基本形と生徒の身体性 (学びと成長の講話シリーズ)

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結局、場数でよくなるだろうという見通しはある。

しかし、国語の授業として、言語の技能の訓練として、明確な狙いを持って取り組まないで、「場数で……」とも言っていてはあかん気がするのですよ。

もちろん、学習指導要領の指導事項として押さえるべきポイントがあるが、それを取り立てて指導するわけにもいかず、結局、色々なことをまとめて……となる。

その時に、あまりに「聞けない」ということが、学び合う空気を破壊するので、厄介だなと。

一旦、寝かしておくか…

妙案もなく、なかなか高校生にまでなって身についてきた習慣を介入で変化させるのは難しい。

高校生にもなってくると、これまでの経験での「話すこと」への苦手意識もあれば、なんでもかんでも開けっぴろげに話すこともできない。人間関係を暴き出してしまうのも、なかなかナイーヴである。

あまり焦らないで、長い目で見るしかないか……。

しかし、それにしても聞けないのは重い。

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