あれこれを授業をやってきて、とりあえず考査である。
生徒の悪戦苦闘
自分の授業方針はシンプルである。大量に読んで書いて話すことを求めるだけ。
どの時間にどのようにやるかというやり方は任せるが、到達すべき質を妥協せずに生徒に投げかけるのである。
そんな無茶な投げかけをするものだから、生徒の多くの場合は、今まで板書を写して解説を聞いて分かる勉強だけでよかったので、何もしてくれないで、読んだり書いたりすることを丸投げされるのは、相当にしんどいのである。
やり方だけは示されるので見よう見真似で悪戦苦闘して国語の授業に取り組んでいる。
そんな悪戦苦闘も一か月半も続けば、個人差も見えてくる。
ちょっと意地悪だけど、まずは自分たちでどこまでやれるのかを見たいし、簡単にこちらのやろうとしていることを下げては、何もできなくなってしまうのである。
生徒たちがまずはどれだけ積み重ねに価値があるかを感じてもらいたいのである。
考査は露骨に…
考査の問題は、どれだけ授業の活動に何度も取り組んだかによって差がつくようになっている。そもそも初見の文章であるので、授業で読んだ文章の中身ではなく、問うているものは考え方であり読み方である。テスト前に慌てても授業の活動にエネルギーをかけていないものを取り返せるほど甘くない。
おそらく露骨に点数の差はついてしまうだろう。やや意地悪かなぁと思う節もあるが、何が足りないかということを自覚できるような作りにしているのである。今のこの時期ならば、失敗を取り返せるし、上手くやれなかったことを取り戻せる時期である。
点数は点数と深刻にさせたくもないし、だからといって軽く見て欲しくもない。
考査は逃げられないのでさすがに生徒もちゃんとやる。それだけに考査の問題で何を学んでほしいのかをねじ込む。
すぐには上手く行かないよ
授業に対する優先度が低い生徒が上手く行かないのは因果応報である。でも、一生懸命やったのに成果が出ない生徒も一定数いる。
どうしてもテストの問題を解くには語彙力も表現力も集中力も、どれも必要になるからこれまでの勉強でヌケがあるとやはり難しい。短期間にはリカバリーできないのも仕方ない。
少しずつ頑張りたいという気持ちが芽生えてきたところで、テストで気持ちを萎えさせてしまうのではないかと心配である。生徒も不安だが考査を出す方も不安なのである。
でも、やっぱり大切なのは「すぐには上手く行かないよ」と粘り強くなってほしいことを言い続けることだろうと思う。
一歩一歩をちゃんと歩むのだ。大丈夫だから。そう言えるかどうか、そんな授業を常にしているだろうか。