昨日で三年が経過し、四年目が始まっています。
止まらないことが取り柄
取り合えず、三年間、一日も欠かさずに書き続けてきました。面倒な時は一行で終わりにしているので、果たして連続して更新していると言っていいのかは怪しいのですが、記録上は三年間休まずにずっと書いてきました。
特に最近はさっぱり忙しくて書けないでいて、内容としても面白くないところが続いていますが、もう少し、ちゃんと読書をして記録を残さないといけないなぁと思っています。反省はしているし危機感はあります。
取り合えず、三年を続けたことで1000日連続更新は達成しています。
書き続けていると、何となく1000日くらいなら続くんだなぁというくらいの感想しか出てきませんが、定点観測していると自分の変化も見て取れるようで面白い。
自分の変化を思う
三年前は自分が担任を持ち始めて一年目、つまりは専任となって一年目なので、まだ色々と仕事にも余裕があったが、今となっては数えるのを諦めるくらいにたくさんの分掌に入れられていまして、なかなか自分のことだけとはいかない。
授業を練る余裕がないと自覚しているし、疲れやすさを自覚している。
しかし、学校のことを考えると自分のことだけを考えてよい年代でもなくなってきているし、学校の年齢構成でもある。自分のことだけ振る舞ってもいられない。最近になって本当に組織の中のリーダーシップとは何かということを考えることは多い。
もちろん、自分はこの学校の専任では一番の年下なのでリーダーシップ云々という立場なのかという問題もあるが、抱えている仕事が周りと協働してやらなければどうにもできないものが増えているし、自分が責任をもって折衝しないといけないものも増えている。
そして、そもそも「担任」というあり方が、組織のなかのリーダーになる存在である。しかし、そのリーダーというあり方が決して上意下達の強権を振りかざすような方法だけでは済まないということを強く思うのである。
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自分自身のリーダーシップも問題だが、生徒にリーダーシップとは何かを教え、育てることも必要だなと思うことは多い。組織としての学級。学級のいびつさにきちんと向き合うのは担任だけではなくて、生徒たちでなければいけないだろうと思うことが多いのである。
国語の授業をやりたいのですけど……
とはいえ、自分は国語の教員として育ってきたので、やっぱり国語の授業をきちんとやりたいのです。
金曜日、土曜日と国語の勉強会に参加してきましたが、やはり実践を丁寧に考えている人と話すのは楽しい。実践を持ち寄って検討しあう、実践になにが必要か理論を考える、そういう時間を持つことで自分がどれだけ触発されているのかと、自覚させられました。
自分が忙しすぎて人に見せられるような実践を出来ていない。
これはかなりよくない状況なんじゃないか。