ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

反省が欲しい訳ではなくて

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生徒の書いてきたものを色々と改めているこの頃です。

高校一年生の一学期は、まだまだこれまでの習慣が見え隠れしまう。生徒の思考や教わってきたことが見えるようにも感じます。

お決まりの文言が

自分は割としつこく毎回、授業の振り返りを書かせている。

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正直に言って、大福帳は「ふりかえり」を絶対に書かせたいという気持ちでやっているわけではない。時間がないか中でも定期的に手を動かして文章をまとめて書くということをちゃんと訓練させておきたいということと、生徒とのコミュニケーションとして考えている。

だから、割と授業と無関係などうしようもない(失礼)を書いてくることもままあるし、ただの交換日記みたいになっていることもあったりもする。

それはそれで「まあ、いいかな」と思っている。継続的に書き慣れる、相手を意識して作文する、そういうことの小さな積み重ねなので、「ふりかえり」の装いをしながらも、実質は「書くこと」そのものの帯単元のような感覚である。

この一学期の終わりも、生徒にこれまでに書いてきた数枚の大福帳を読み直してもらったが、どうでもいいことを書いている大福帳であっても、「数」がまとまってくると自分なりに感じるところも多く、書くことにちょっとでも楽しいを感じられる瞬間があるようである。有名な「カキナーレ」よりもよほどこじんまりとした書くことの積み重ね。

カキナーレ―女子高生は表現する

カキナーレ―女子高生は表現する

 

自分がやってきた行動が後から振り返って少しでも楽しければいいなあと思いながら、毎度の授業は考えているので……学期末のガヤガヤと大福帳を読みなおす時間はけっこう大切であると思っている。

そんな大福帳であるが、どうでもいいことを雑多に書いているものよりも、むしろ気になるものがある。

それが「自己反省でまとめる」タイプのコメントである。例えば「今日は……がダメだった。……すればよかった。次回は……したいです。」のような形で書かれるものである。基本的に自分が出来ないことを挙げて、何が足りないかを書き、最後は次回の決意表明のような形で終わるタイプのコメント。

極端に何がダメという訳ではないのだが、何十枚も同じような書き方、同じ人が何十回も同じような書き方をしているのを見ると、ちょっとした不気味さというか気持ち悪さを感じるのである。生徒の一枚一枚の答案に出なく、打ち合わせたのでもなく出てくる同じような書きぶりに対してである。

一見すると、ちゃんと書いているように見えるのだが、得てしてこの手の記述は抽象的、一般的で表情に乏しくて、書いている生徒の様子や思考が見えてこない。

単に、授業に対してコメントを書きたくないという意図から、本人に直接かかわってこないような書き方をしているのであればいいのだが、無意識のうちにこういうコメントが繰り返されるのは良くないように感じる。

反省してほしいのではない

自分が大福帳を書かせているのは、自分に対して反省を述べさせたいからではない。

一回の授業で上手く行かないことがあったり間違って考えていたりしてしまうことは、当然に起こることであって、それを弁明させるような時間として大福帳を書いてもらっている訳ではない。

しかしながら、そんな自分の気持ちとは裏腹に、何度言ってもなかなか「出来ない自分を反省」というタイプの記述が後を絶たない。

そんな自分のことをボロカスにいうような反省が一学期分溜まっても何も面白くないよな……

どうして、こうも自分を責めるような反省文のような記述が色々なところに顔を出してくるのだろう。こういう習慣を当たり前だと思ったまま高校を卒業してしまうと、せっかく楽しく学べる可能性があるものを、自分から禁欲的に進んでいき、つまらなくしてしまっているような……。

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