「物語」を読むということが軽視されやすい時代だからこそ、その価値を見直すことは避けて通れない。そんなときに、参考になる一冊が今回紹介する本である。
前作『人はなぜ物語を求めるのか』の出来が良かっただけに期待が大きい一冊でした。
前作の話
「物語」を読むという行為について考えることは授業を作る上でも避けて通れないことである。文学軽視と言われてしまうような実践にならないためにも、色々と考えるし、生徒に考えてもらうこともある。
そういう悩みを抱えているときに前作『人はなぜ物語を求めるのか』は、良い指標になってくれました。
前作が「人間が物語る動物である」ということを掘り下げ、安易な物語を答えを受け入れてしまい苦しむ必要がないし、安易な物語に逃げ込むことの危険ということを説くような一冊でした。
今回の『物語は人生を救うのか』は、不可避にストーリーを構成してしまう人間が「物語」によってどのように自分の経験したものを受け入れるかということが述べられる一冊になっています。
遠回りに見えても
「あとがき」にも書いてあるように、この本のタイトルにある「救」という文字は、筆者が書きおろしている本文には一切出てこない。色々と悩みを抱えている人が、それこそ救いを求めて、そこまで大仰ではないとしても考えるヒントを得るために本書を手に取ったとすれば、期待外れに思われるかもしれない。
本書の前半は「悩み」ではなく、物語とは何かを論じている。そして、そこで出てくる例も分かりやすく書かれてしまっているので、もしかすると「自分はこんなことを知りたいのではない」となってしまうかもしれない。しかし、そこはグッと堪えて読み進めてもらいたい。
第三章くらいまでに説明される「物語」を理解するための道具を理解していくと、第四章の「要点」「教訓」の話や第六章の「ライフストーリーの構築戦略」の理解が深まるように書かれているし、その道具を持たないでむやみやたらに「見えてしまっている」物語に拘泥することで苦しむことからの脱却のための戦略が書かれているのである。
自分のことを知るために
この本を読んで「物語が自分を救ってくれるようになる」と期待するのは他力本願である。むしろこの本は安易な物語に巣食われることで、救われない苦しみがあることを教えてくれる。
ストーリーを作るのが徹頭徹尾「自分」であり、その自分が自分のことを完全に分かっている訳ではない、語り直されるのだということに気づけるようになるための、道しるべになるようなことが語られているのが本書である。
本書で唯一、物語の救いらしきことを明確に述べているところを挙げるとすれば、最後の
「自分が悪かったのだから、自分は幸福を感じてはならない」という一般論が心のなかに立ち上がってきたら、自責の時間を過ごしたいだけ過ごしたあとで、自分に問うてみませんか。
「それ、ほんとの話?」
と。
(P.200)
問うための道具が「物語」とはなにかという知識である。
国語の授業にも活かせる点も多いですよ
本書を読みながら思うのが、前作の書評でも書きましたが、高校の文学の定番教材って上手く並べれているなぁということです。
まさに「物語る」とはどういうことかが、直接的に問題になってくることが多い素材が高校の文学教材なので、千野さんのこれらの本が授業づくりの観点として活かせることは多いと感じます。
というよりも、ちくまプリマ―という性質上、高校生が自分でこういう論考を読んで、文学とは、物語とは、ということを考え始めて、自分の人生で物語を少しでも必要だと感じてもらえたらいいのかなと思ったりします。
前作の『人はなぜ物語を求めるのか』の読みやすさに比べると、今作の方が生徒にはハードルは高いかな……。
高校であれば、自分自身で「なぜ物語が必要か」を考える時間があってほしいと思うのである。