短歌をつくろう!そんな一週間。
好きな歌詞を短歌にまとめる……一青窈の作例が奔放すぎて手本にならない問題。
「詩」と向き合う時間
短歌を作ろうという時間であり、基本的には楽しく、面白くやってくれればいいと思っている。そもそも授業がおかしなことになっていて、九月は下旬だというのに授業がまだ今週で二回目のクラスがあるなど、おかしなことになっておる。
だから、この短歌を作ろうの時間も、生徒の集中力が途切れる時期のリリーフ的な意味もある。
一方で、授業時間数が少ない(しつこい)ので、一時間だって無駄なことをしたくないという気持ちがある。楽しくやってほしいけど、ちゃんと後から効いてくるようなことを目指したいのである。
だから、今年は前回よりも、詩の分析という点については力を入れて生徒に取り組んでもらっている。
「詩」の分析が、今後に扱う文学教材につながるように、どのような観点で自分の感じていることを言語化していくのかということをてびきにして、実際にしっかりと考えてもらう時間を取った上で、三十一文字にしてもらうことにした。
ネックなのが生徒の好きな詩を持ってきているので、詩の表現の巧拙に割と差があり、あまり解釈が深まる余地がないものもあったり、逆にシュールすぎて手に余るものもあったり……というのはご愛敬ということで。好きなものを粘り強くやるから、印象にも残るし、しつこいくらい反復するので……まあ、仕方ない。
生徒の様子は悪くない
そうしてしつこくやっているわけだが、生徒の反応は悪くない。
集中力の高さは、三年前も同じであるが、好きなものに取り組むときの集中力は強いなぁと思わざるを得ない。何人にも毎回この授業してくださいと言われるが、そんな訳にも行かないのである……好きなものだけでは足りなのです。が、自分が好きなものに真剣に取り組む力を見ると色々と悩ましい。
理想と現実の乖離は苦しい。
話がそれたが、生徒は分析したり考えたりするのは決して嫌いではないということはよく覚えておこう。
学力の厳しい生徒でも、何かが降りて来たかのように「あ、気持ちって物で表せるのか」とつぶやいているのは、結構うれしい。普段はかなり厳しく見えていたので、何か掴んだという時の様子はやはり嬉しいものである。
問題なのが、これが次のステップに繋がらず、鑑賞になると途端に難しくなる。
色々な狙いを統一的につなげていくことがやっぱり難しい。思惑通りには動かない。
一つ一つの部分で上手く行っていることがあるので、どう総合して単元をたためるか……。悩ましいところである。
年間のカリキュラムで扱うことのミニ・レッスンとして短歌の授業を使っているので……この目論見が成功するかは、また長期戦である。