休日出勤で採点である。抱えている人数がダントツに多いの上に、記述問題ばかり出すからこういうことになる。そして、なまじ記述で出すものだから粗が目立って出来ないことを目の当たりにして凹むのである。
我慢比べだぞ……
点数を取らせるためだけならば、いくらでもやりようはあるのだ。考査の難易度を下げればいい(笑)。
…それにどれだけの意味があるのか不明である。
絶対評価の国語科テスト改革・20の提案 (絶対評価への挑戦)
- 作者: 堀裕嗣
- 出版社/メーカー: 明治図書出版
- 発売日: 2003/05
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ちゃんと授業でやったことを評価しなければ意味がない。しかし、下手に凝れば凝るほど点数は……。まあ、教えていないことや授業で出来ていないことを考査に出してはいけないのである。見立てが悪いのである。
だからといって、授業でやることを覚えることばかりにしてしまったら、きっと面白くないことになるのだろう。生徒にも、自分にも。
国語の授業なのだから、読んで、書いて、話してをしなければいかんだろうと思うのである。授業の中で言葉を使わなかったら、いつ使うんだっての…。
ちゃんとした言葉を使えるようになるには、実践するしかないのである。
次の単元と次の次の単元を……
考査の結果に責任を感じつつ、結果をきちんと数量化して分析するのである。休日出勤することになっている理由はここにある。
設問ごとに正答率を出したり、解答例を並べてみたり……。あ、最近教えてもらった「採点斬り」も試してみたりしました。
※使用する前提で考査を作っていないので上手い結果は得られませんでしたが。
採点しているときの感覚も大切だが、得点を数値で並べてみても思うところはある。教えたことや授業でやったことの成果や、設問としてマズかったと思うようなこと、そういうことがよく分かるし、生徒へのフィードバックもしやすい。
こういう結果を見ても授業をどうするか考えるのである。ただし、点数を取らせることに足を引っ張られて、単元の本質を見落とさないように……。ちゃんと授業で扱う素材を丁寧に考えないと……。
授業ののめり込む姿を期待して……生徒のあるがままをきちんと見取りたいのである。