ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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「基礎学力」を育てることを

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今日も色々な面で悪戦苦闘するのである。授業数と生徒の実態とやりたいことの綱引きが続くのである。

段階を踏まないと…

やっぱり「羅生門」は難しい。語彙も難しいし、様々な描写が細かくて難しいし、高校三年間の文学的文章を読むためにやっておきたい準備も多いし……やっぱり中学校までの題材よりも一歩も二歩も難しい。

また、中学校までにここまで出来ておいて欲しいということに穴があると、集中力が続かなかったり場面を理解できなかったりと苦労することになる。

生徒の実態をよくよく考えるのであれば、出来ていないところまで戻って丁寧に教えなければいけないと思うし、実態を無視して上に積んでいこうとすると結局失敗することになるというのも何度も思い知らされている。

とはいえ、潤沢に授業数がある訳ではないので……。ジレンマである。

少しずつ粘り強く…

なにか抜群に効果的な方法が今すぐに思いつくものではない。もう、動き出してしまった単元を大きく方向習性は現実的には不可能である。しかし、それでも日々の授業を微調整しながら進めることは出来る。

基礎学力という話をするときに、自分は大村はまの次の言葉を思い出す。

日本の教師に伝えたいこと (ちくま学芸文庫)

日本の教師に伝えたいこと (ちくま学芸文庫)

 

基礎学力というのは、現場の私たちがこんなふうにさせたい、それはどうしたらできるだろうか、と考える小さな工夫によって養われるようです。要求をそのまま口で言うのが一番だめです。こうしなさいとは言わない、言わないけれども、そうさせなくては、教師としては指導していないことで、教師は何をしているのかということになってしまいます。そこにいろいろな工夫が生まれてくると思います。(P.206)

教員の分析能力や工夫する力を厳しく問う言葉である。

つい、自分が「ああしろ」「これしろ」と言いがちであると思い出すし、授業がイマイチ上手く行っていないときは、たいてい、こうして生徒に要求を直接ぶつけているだけで、工夫がないのである。

思わず、考えてみたくなるもの。思わず、答えたくなってしまうもの。そういうものはいくらでも手渡せるのである。

今回だって、単元の最初の方に渡した初発の疑問集は生徒の粘りづく読むきっかけになっていたのだから、もっと、色々なやりようで、粘り強く分析的に読むことができるようになる方法があるのだろうと思う。

今から何を立て直せるだろうか。

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