ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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何を選ぶか…

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「羅生門」も気づいたら大詰め。

大詰めというか追い詰められたというか…

やっぱり分厚い「羅生門」

行事や短縮日程などでなかなか集中して授業が出来ず、ゆるゆると生徒とやってきた「羅生門」であるが、なんとなく読むべきものは読み果てつ。

やっぱり生徒とじっくりと時間をかけて色々な部分について考えて、感想を交わして、リライトさせてということを繰り返していくと、「羅生門」という小説が高校のこの後に読んでいくような小説を読むための準備になっているのだなぁと感じさせられた。

 

羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫)

羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫)

 

 

でも、難しいのがその全部を全部、こちらが教えようとして拾っていると、まったく時間が足りないのである。また、そもそも細かい部分ばかりを触れていると、本文を生徒が読まなくなるのである。

授業者が何を選ぶのかということに他ならないが、それが自分が恣意的に選べるものなのか……。「羅生門」の教材史については

 

文学の授業づくりハンドブック―授業実践史をふまえて〈第4巻〉中・高等学校編

文学の授業づくりハンドブック―授業実践史をふまえて〈第4巻〉中・高等学校編

 

 

に比較的詳しく丹下博文先生が歴史的な流れも詳しく説明している。

その内容を読むだけでも、もう様々に広がってしまうとよく分かるのである。丹下先生は「『羅生門』には教材価値が確立されていないという点に決定的な問題性を感じる」(P.136)と指摘されているのもよくわかる。もちろん、「教材価値が確立されていない」というのは、どういう意味かは判断しにくいところもあるが、それでも、確かに何を教えたらいいのかは困ってしまうのが現実である。

生徒はどこまで読めるのか

偏差値で言えば、教えている生徒はうっかりすると二倍くらい差がある生徒が混在するような教室で、何を教えられるのかということも悩みの種だった。

仕方ないから、何度も繰り返し一緒に本文を読んで、本文を抜き出して、考えて共有して……を繰り返した。

結果的に、そうやって地道に読んでいくと、面白いことに文学研究史で出てきた読み方がちゃんと出てくるのだなぁと。暗い「羅生門」論で読んでいたかと思えば、明るい「羅生門」論までちゃんと思いつくのである。

もちろん、手放しで自由にだけ読ませているのではなくて、語り手などの知識は教えているし、整理をしてみせたプリントを渡したりと手は尽くしている。

書き方の訓練も色々としました。

その分、全員が全員、すべての問いについて考えさせるだけの時間はなかったので、生徒が同じ教室で全然、それぞれバラバラなことを考えているようなことになったが、結果的に、その緩やかなバラバラさが共有のモチベーションになったし、色々な読みが出てきて楽しくやれたとは思う。

狙った成果ではないので…手放しで喜べないのですが。

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