ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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地道な交渉を…

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新しい教育課程について地道に折衝中。自分の仕事なのか?と思いながらも、自分が当事者にならざる得ないんだから、誰かに委ねるより積極的に出しゃばったほうがいい。

国語の単位問題

以前から何度か取り上げているが、新学習指導要領から国語科の選択科目が「論理国語」「文学国語」「古典探究」「国語表現」へと分かれる。そして、そのすべてが4単位科目であるので、どの科目をどのように選択するかが大問題なのである。

www.s-locarno.com

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4単位科目となるということは、二科目以上を選択する場合は、二年にわたって履修することになるだろうし、そもそも三科目以上を選択することは他の教科とのバランスを考えても難しいのではなかろうか。

「論理国語」を外せないという現場の主張は、大学入試を意識しているからだろうと感じる。一方で、大学入試は大学入試で記述は杜撰なことになっているし……。高校の授業は大学入試とは関係ないって開き直れるのであれば、「文学国語」を選べば今まで以上に面白く深い文学のことがやれそうな学習指導要領の内容になっていると思うのだが、「論理国語」か「文学国語」かの二者択一のような対立にいつのまにか陥っている。ま、根本的には柔軟性のない単位の置き方や分け方が問題なのだが…。とはいえ、「論理国語」の内容も内容的には無視できないと思っている。そもそも、「情報」や「非連続テキスト」の扱いの少なさや「読むこと」に偏重してしまうことに問題があったわけで、そういう問題にも向き合わねばならないわけで……。

ならば、「国語総合」で3単位でいいのか(笑)。……ということが現場以外の回りから信頼されていないってことが最大の問題なのでしょうね。

実際に見聞きすること…

そんな現場以外の回りからの視線はどこ吹く風で、国語の先生方の話を聞くと……正直、げんなりすることの方が多い。文学を味わわせるだとか、表現の美しさだとか、契約書読ませても仕方ないだとか、話し合いさせても仕方ないだとか……何を根拠に話してんだろ、くらいの暴言は吐きたくなることは多い。

別にそれぞれの話が全面的におかしいわけではないが、総和として見えてきて「何も変えなくていいだろう」という結論が同調圧力で迫ってこられるとげんなりとする。

実際に、新学習指導要領を踏まえた課程づくりにおいても「教科書出て来なきゃわからない」だとか「別に今までと同じことやってもいいでしょ」だとか、学習指導要領が法的拘束力を持つことを軽く見て、勝手に好きなことやるという姿勢が見えるのも……もう、なんか、一生懸命学習指導要領を読んで説明するのも、学習指導要領について論争している人たちがいるのも、一切合切ムダに見えるくらいにはがっかりする。そういう姿勢のせいで周りからノーを突き付けられるんだ!!と憤慨したりやる気をなくしたり……全く独り相撲で忙しい。

余計なことを言われるのも腹が立ち

こんないい加減なことをいう人もいる。

論理国語のせいで文学国語が消えるというのが誤りというのも同意しますし、減単は可能ですよ、確かにそう書いてある。しかし、減単が簡単に認められないという事実を無視しすぎである。

必履修教科・科目以外の各教科・科目について,標準単位数より少ない単
位数を配当することは,①生徒の実態から標準単位数による授業時数より短い時数で当該各教科・科目の目標の実現が可能であると判断される場合,②原則的には各教科・科目の標準単位数によって授業を行うことが望ましいが,教科・科目の特質から一部の内容項目を取り上げることも可能である旨が規定されており,生徒の特性や学校の実態等に応じてやむを得ないと判断される場合のいずれかの場合に行うことが可能であると考えられる。なお,その場合においても,生徒の実態や各教科・科目の特質等を十分考慮して履修に無理のないように単位数を定める必要がある。
 例えば,選択科目である「数学C」については,(1)から(3)までの内容で構成しており,三つの内容すべてを履修させるときは3単位程度を要するが,標準単位数は2単位である。このため,原則的には標準単位数である2単位で授業を行うことが望ましいが,生徒の特性や学校の実態,単位数等に応じてやむを得ない場合には,教科・科目の特質により内容を適宜選択し1単位として設定することも可能である。その場合にあっても,指導に当たっては,履修目的に沿って,履修内容や履修順序を適切に定めるとともに,各科目の内容相互の関連と学習の系統性を十分に図ることにより,生徒の多様な特性などに対応できるようにすることが大切であることはいうまでもない。(学習指導要領総則編解説 PP.62-63 下線強調は引用者)

上述の傍線部分が非常に現実としては難しい。現場で実際に減単している学校はあるのか?というレベルで見聞きしない。

また、実際に解説編には減単位の例が数学で挙げられているが、「教科・科目の特質」というのも厄介で、国語でそのようなことが出来るかは厳しいだろうと思う。今回の学習指導要領の科目の構成が、「知識・理解」+「思考力・判断力・表現力」で示され、さらに「思考力・判断力・表現力」の中に「三領域」があるという構成なので、上記の数学の例のように、バラバラにして減単位して履修……なんて認められないでしょうね。特に「読むこと」だけのために「文学国語」を置くようなことを申し出ても……一番、それが外部から批判されてレッドカード突き付けられたことなんだから認められないでしょうね…。

そんなこともあって、真面目に「文学」をなんとか高校生に教えたいと思っている人が、入試も無視できないで「論理国語」をこなしつつ、「文学国語」をどうするのかを考えて四苦八苦しているなかで、こんな雑な罵倒を浴びせてくるのは、何を考えているのか分かりません。同じ内容でも「減単が出来ることを活用しましょう」とか「弾力的な運用を求めていきます」とか言えばいいのにと思うのである。

およそ論理的ではないし、配慮のある発言でもない。減単している学校数をデータとして示してもらいたいですね、数字を使っている学者なら。

教科と教科は外交なのだ…

職場の人に教えてもらったのだが、教科と教科の折衝は「外交」に喩えるとしっくりくるという。言われてみれば深く首肯するのである。お互いに、自分の「国」の利益のある取引しかしないし、基本的に自分の「国」が一番だと思っている。

きっと、そうやって分断しているから、教科横断なんてしようと思っても、使っている言語も断絶しているのでしょう。

なかなか根深い。

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