ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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「質問」の授業に役立つ論文は?

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新年早々ですが、仕事の予定から逆算するともう遊んでいられない感じですね。

三学期に新しい授業に挑戦しようと思う人は少なからずいると思いますので、自分の興味関心のある「質問」についての内容を少し共有しておきます。

「質問づくり」といえば…

このブログでも何度も紹介していますが、「質問」といえば、QFTですね。

たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」

たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」

 

この本の発売が2015年なのだが、2019年の年末の段階でだいぶQFTの実践報告やQFTに関する論文も増えたという印象である。

www.s-locarno.com

www.s-locarno.com

www.s-locarno.com

自分もこんな書評を以前に書いている。

www.s-locarno.com

「質問づくり」のメリットは色々とあると感じているが、この本の中で論じられていることで重要なことは、上の書評でも書いたが以下の部分である。

本書がこのような方法を提案する背景には、この方法論が「さまざまな地域の市民活動に教育者として関わり続けてきた経験によるところが大きい」(P.12)と著者が述べるように、「人々が日々遭遇している問題の深刻さが明らかになるとともに、重要な思考と自分を主張するためのスキルを教える」(P.15)ことの必要性から開発されたものであり、最終的には「よく考えて行動する民主的な市民になれる」(P.25)ということを目指して考えられた方法である。

【書評】「質問」が「社会に開かれた教育課程」につながるか? - ならずものになろう

つまり「市民社会の市民」としての自立のために「質問」が必要だという価値観である。だから、このQFTについては、形だけ持ってきて木に竹を接ぐようなことをしても、あまり上手くいくという手ごたえを得ることは難しいだろう。そして、QFTはかなり厳密にルールが決められているのだが、そのルールも結局、QFTを作った価値観と結びついているので、その価値観を理解しないと、ルールを簡単に改ざんしてしまう。

かなり価値観の関わる手法なので、結構、実践としてはしぶとく気長に取り組まないといけないものであるように感じる。

もし、QFTをやってみたいということであれば、上の『たった一つを変えるだけ』は必ずよく読むべきだろう。安易にルールと方法だけ持ってきても、おそらくうまくいかない。QFTはブレーンストーミングとは違うのである。

「質問」は役に立つか

さて、そもそも「質問」という行為自体が、子どもの学びにとって役に立つのかということについてであるが、これについては実は結構、色々な論文がある。特に教育心理学の分析はかなり昔からあり、ボリュームもある。

例えば、「質問」関係の論文で数多く引かれるのは、以下の秋田喜代美先生の論文。

www.jstage.jst.go.jp

この論文の中で論じられている「質問」の種類と「理解」の範囲は、当然ながら注意深く限定されているが、質問の学習における働きを詳述している点に学ぶ点が多い。特に現場だとこういう吟味が追い付かないで、なんとなくでやっていることが多いので、細かい整理を把握するということは必要だろう。

この秋田先生の論文を踏まえて、さらに最近の「質問」に関する話などを押さえて、授業実践と検討を行った論文が出てきている。例えば次の論文など。

ir.lib.shimane-u.ac.jp

この論文の実践はかなり丁寧に設計してやっているので、授業の設計やワークシートの設計などで参考にできる点は多いのではないだろうか。なかなか、一回の授業、一回の単元で、生徒の変容をとらえ、記述するのは難しいなぁという難しさも同時に感じます。

秋田先生の論文の授業実践の記述と、こちらの登城先生の授業実践の記述の差異を比べてみるのも、理論と実践の違いを感じる意味でも面白いところです。

秋田先生の本としては

これからの質的研究法 ~15の事例にみる学校教育実践研究~

これからの質的研究法 ~15の事例にみる学校教育実践研究~

 
メタ言語能力を育てる文法授業—英語科と国語科の連携

メタ言語能力を育てる文法授業—英語科と国語科の連携

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: ひつじ書房
  • 発売日: 2019/08/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

の二つが去年に発売になっていますが、どちらも面白かったですよ。

読解方略へと目を向けると…

「質問」について考えていると、国語科的には「読解方略」の話になってくる。

そのため、「質問」や探究を考える際には、その手の論文にも目を通しておきたいところだ。個人的に、広く色々な研究成果を知るために役に立ったのが、次の犬塚美輪先生の論文。

www.jstage.jst.go.jp

論文中にある「言語活動の充実」が謳われている状況だからこそ、読解方略の明示的な指導を!という意見は、現場をはいずりまわっている人間には耳に痛いです。どうも、この手の読解方略が怪しげな経験則や口伝で好き勝手やられている感じはあるので…。ただ、その経験則もバカにならないで、理にかなっていることも多くあるので、現場の知恵に理論をつなぐことは大切だよなぁと思うのである。

この論文の末尾にあるが、「複数テキストの読解や批判的読解の指導」において、教育心理学の研究が蓄積している「読解方略」についての知見は必ず役に立つだろう。残念ながら、なかなか現場にいるとアクセスしにくいし、理解もしにくい。だからこそ、折に触れて、きちんと自分から論文を読んだり、内容をまとめたりしていくことは必要ですよね。なかなか忙しいのですが……。

どこかで腹を括って

時間があるから論文を読んでいるわけですが、論文を読んでいて思うのが「どこかで腹を括って時間を費やして授業研究しないといけない」ということです。

最近は、どうも研究授業は嫌われるような傾向を感じることが多いのですが、予定調和のお仕着せの研究授業ならともかく、何かテーマを決めて、専門家と対話しながら一つの授業や単元の完成度を高めていくというプロセスは、教員の成長としてはありがたいことなのだろうとは思う。

もちろん、研究と呼べるレベルにまで持ち込むのであれば、よほど腹を括って、時間と資金を投資しなければいけないだろうけど。研究授業は普段の授業でいいんですという言説にも疑問がある。普段ではできない授業をやることで、普段の授業を相対化して見ることができ、普段の授業に落とし込める手札が増えるのではないか。

誰でも簡単にできることではないのは認めよう。みんながみんな、自分を追い込み続けていたら学校が疲弊してしまう。

しかし、どこかで、腹を括って何か授業を「研究」することは、必ず授業づくりのためには必要になる気がするなぁ。どうなのでしょうね。

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