三学期に入ってから、地味に「読むこと」の単元として、複数の資料をたくさん読んで一つのテーマを理解していくとうことをやっている。
自分たちに馴染みのテーマではないからこそ、時間をかけて色々と読ませて、読むための作業をさせて書き直しをさせて……そんな地味なことをやっている。
複数の資料を扱うこと
大学入学共通テストの出題方針も公表になり、センター試験から変わるんだろうなぁという感じである。
大学進学を希望する生徒が多い以上、やはりこの出題方針の変更に対しては、今までと同じことを漫然とやっていて大丈夫だとは言い難く、生徒からも対策のニーズは高い。
試行テストなどの様子を見るに、記述問題の厄介さを考えなくて済むようになった今、生徒が一番苦戦するのが、複数資料の読み取りや書いていないことの推論である。
そもそも試験時間が80分で短いのに、読み取るべき文字数が莫大に多いことが難しさの原因でもあるが*1、それとは別に、やはり、そもそも複数の資料を読んで、一つに考えをまとめるということに不慣れな感じではある。
別に、共通テストとは別に、複数の資料を読み込んで、まとめていくというスキルは必要である。
わかりやすい例としては、生徒たちが各自で探究していくのであれば、当然、自分で資料をまとめられなければ、仕事にならないのである。
そのためには、分かるようになるまで読むという我慢強さと、増えていく情報を整理するという我慢強さが必要である。
それを国語の授業で保障するためには、週2単位の授業時間が恨めしいのである。
一つ一つの作業は時間がかかる
50分しかない授業時間が恨めしいのである。
50分をフルに使うことはいろいろな事情があって難しい。移動教室があれば、数分押すことはザラだし、トラブルで教室に遅れることだってある。出欠については誤りが許されないから神経を使う。
学校だからこそ、普段の生徒の様子についての話をしなければいけなこともあるし、まあ、50分はフルには使いにくい。
また、ある程度まとまった文章を読むとなると、時間が持っていかれるのである。感覚としては3000字くらいの文章を読むには7~8分くらいはかかるし、そこから線を引いたり表に直したり生徒にさせていると20分くらいはゆうにかかる。
そこから、生徒同士で話し合いをして、更に話した情報をまとめ直したり……なんてしていると、時間が足りない。
一つの文章でこの調子なので、2つ、3つとつなげていくと、もうまとめて時間が取られるのである。あぁ…単元を立てるのには時間がかかるのである。
難易度が上がる
ただでさえ、生徒にとって教科書の文章は難しいのに、それに類似する文章をいくつも読むとなっては、生徒はげんなりとパニックを起こす(大げさである)。
まあ、どうしたらいいかという指示や手本を間違えると、生徒は次の瞬間には寝ている。自分でもやれそうだという手応えと面白そうだという思いを持てたときに、やっと難しくもやり始めるのである。
やりはじめて、難しいと滅気そうになる生徒をなだめながら、少しずつ続けていくのである。
高校の現代文は生徒にとって実生活と繋がっていない部分も大きい。
実用的な文章が次の学習指導要領には入ってくるが、実用的であってもそれが生徒の日常にあるというわけでもない。
自分のこととして捉えられない問題と向き合うことは、しんどいものである。
少しずつ分かることで
そんな難しいことであっても、少しずつ時間をかければ理解できるようにあってくる。
そうして、時間をかけて理解してきたことは、生徒にとっても自分のこととして、受け止められるようになる。
難しいことを簡単なことばで言い換えて、すぐに分かったきにすれば、生徒にとってはストレスはない。でも、ひっかかりがなければそれはすぐに忘れてしまうのである。
だからこそ、一つ一つの問題を、時間をかけて向き合って、難しいと、しんどいと思いながらも、自分でわかっていくことを大切にしてもらいたいものである。
*1:今年のセンター試験については、少し文字数が減り、バランスを取った感じはあるが……それでも。