ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

何気ない生徒のつぶやきから

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毎日の大福帳の添削は自分の日課である。
情けないことに、生徒から直接、物を言われないと、生徒のことをよく理解することができないのである。だから、この日課は欠かせない。
そんななか、生徒のつぶやきに少し面白く感じるものがあった。

今の学びは

今、授業で取り扱っているテーマは「近代」の矛盾についてである(近代の矛盾でない評論があるのか…という話であるくらいボカした言い方している)が、生徒の理解にとって最も関門となることは、「自分に関わること」として感じられないことである。
結局、教科書で読んでいる文章は生徒の日常の語彙からも問題意識からも遠く離れており、「なぜこんなに面倒なことを考えなければならないんだ」という思いを抱きやすい。自分に関わり合いがない、必要がない文章に対して、生徒が取る態度は「寝る」である。面倒で難しことを我慢してまで付き合おうという気持ちを持つことは難しいのである。
もちろん、そういう「面倒なこと」を放り出さないで、まずは我慢強く付き合える力をつけること自体も授業の目標としては大切なのだが、なかなか一年生のうちではそこまではたどり着かない。
だから、粘り強く、手を変え、品を変え、生徒に対して分かる話からすぐにはわからない話を少しずつ取り組んでもらうように授業を考える。今回であれば、共通する問題意識で書かれた色々な文章を、少しずつ、そして大量に読み進めてもらい、自分で分かるようになってもらうようにしている。
結果的に、目論見通り、分かるようにはなってきてはいるが、まだまだ慣れ親しまない概念を扱っているので、生徒の様子もはっきりとしない。
ここから、最終的に、自分の問題として具体におろして考えて、論じてもらうことが必要になってくるのだが……授業者として粘りどころだナ。

何のために学ぶのか

今回の単元で、色々な文章を読んでもらっているのは、テーマ自体の理解もそうなのだが、もう一つ、別の狙いもある。それは高校1年生の授業のまとめとしての狙いである。
今回、扱っているテーマは比較的、何度も繰り返し出てきているテーマだけに、教科書の文章も、授業者からすれば「よくある話」だと見えるものである。
しかし、それは「授業者からすれば」であり、生徒にはそのようには見えない。
なぜ、「よくある話」に見えるのか。それは、現代文の中に出てくる問題意識の幅を授業者が理解しているからである。言い換えれば、多くの筆者の持っている「問題意識」を自分のものの見方として持っていれば、文章の中のレトリックや文章の構造などもよく分かるようになるのである。
生徒には、その「問題意識」が見えないから、内容を理解することが難しいのである。
逆に言えば、そういう問題意識を少しずつ自分のものの見方につなげていくことができれば、文章の理解もだいぶすっきりしてくれる……はずなのである。
しかし、こういう「問題意識」を持つことは非常に面倒なことである。自分の教えている生徒は、わざわざ問題に目を向けなければ、世界や社会について問題を抱かなくても済むような人たちである。それだけに、わざわざ生徒に面倒でしんどい問題意識を抱いてもらうことは、ハードルが高い。
とはいえ、何も知らないでいることが、生徒にとってよいことだとは思えないのである。だから、なぜ学ばなければいけないのかということも含めて、生徒に投げかけ続けるのが一つの自分の仕事である。

生徒のつぶやき

そんな面倒なことを生徒に言い続けているわけだが、それに対して生徒が一言、大福帳にこんなコメントを書いてきた。
「知識や教養を持つことで、攻撃しないですみそうですね」と。
生徒自身は深く意識しているわけではないとは思うが、なかなか、奥が深いなと思うのである。
結局、問題に目を向けるのは、「弱者」と呼ばれる人たちや社会が抱えている問題を認識することから始まるのである。自分たち、日本の一般的な高校生は無意識でも生活し、教育を受けられるくらいには強い立場にある。その立場から離れて、色々な立場を知ること、そういう態度が持てれば高校1年生としてはかなり高度であろうと思う。
学校は色々な場面で競争を強いられている。それだけに、自分が弱い立場にならないようにすることに汲々としがちであり、せっかく身につけた知識が他人を殴るための道具になるような例が多くある。
そもそも、知識のあるはずの大人が、他人に殴りかかるような有様なのだから、なかなか難しい。
だが、生徒には、せめて、少しその乱暴な気持ちを堪えるくらいの余裕と、自分の得た力を役立てようとする視野を持ってほしいと思うのである。
何気ないコメントではあるが、そういう気持ちを自分のものとして持続してもらうために、これから授業で何が必要なのだろう。なかなかの難題である。

 

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