ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

ICT化のためのボトルネックを考える

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本日はカレンダー通りに休み。珍しい。

明日からまた色々と次年度に向けての会議があるので、自分の資料を整理するなどしつつ、次の単元の準備をしているところである。

次年度、かなり勝負になってくると思っているのがICTを使えるかどうかということである。さて、自分の身の回りでICT化を妨げているものはなんだろうか。

前提:愚痴を書いても仕方ないので

こういう話を書いていると、つい愚痴っぽくなりがちであるのだが、愚痴を書いているところで、解決できるものでもないので愚痴は書かない。誰かを責めない。そういう前提で話を進めてみようと思う。

結局、どれだけお金をかけていいものを入れたとしても、心理的に反発されて死蔵されては意味がない。また、どれだけ理屈を解いたとしても、教員にへそを曲げられたらどうにもならないのが、学校という場所である。冷静に、事象だけを眺めておきたいところだ……が。

管理と責任

学校のICT活用の最大の障壁は、「何かトラブルがあったらどうするつもりなんだ」という意見である。事態が重大化しやすく、近年になって新しく出始めたトラブルの多さのために、ICTに対する忌避感が学校にはある。

保護者としても、子どもにICTを持たせても「ろくなことをしない」という発想で、子どもにスマホやタブレットを持たせることを嫌がり、学校の備品のタブレットを授業で使ってさえも「子どもがタブレットを欲しがるようなことになるから迷惑だ」と言われることさえある。

むろん、そういう「ご意見」に対して対応の矢面に立たされるのは、担任であり、普通の担任の立場からすれば、「なんで、余計な仕事を増やすかな…」といういらだちを感じることも無理もないのである。

「ICTがなくても授業はこれまでもできたし、これから先も授業はできる。余計なトラブルの火種を作ってくれるな」という訳である。

もし、これから学校としてICTを積極的に使いますということになれば、「ICT絡みのトラブルはすべて学校の責任として面倒見るのだろうな」と、保護者から迫られるだろうことも想像に難くない。

いくら学校が理論的に「そうではないでしょう…」と言おうとしても、その反論に意味がないのである。論理で保護者を殴って言うことを聞かせても禍根を残す。それは子どもにとってもあまりよいことではない。

保護者の存在を抜きにしても、教員のICTに向ける嫌悪感は激しい。余計なトラブルや勉強時間がスマホに奪われているというまなざしは強烈だ。

せっかく学校にWi-Fiを設置しても、YouTubeは見せたくないし、答えを検索だってさせたくない。学校の様子が外に好き放題「流出」させられるのも嫌に思っている人はいるだろうなと思う。

自分で書いていてなんだけど、この調子でICTを使いたくない理由を教員に言わせ続けたら、延々と出てくるのだろうと思う。この延々とした苦情に、ICTの旗を振る人は気持ちが萎えてくるのである。

意外と使い慣れている人ほど…

なんとかICTを活用しようと思って、日常的にICTの恩恵を十分に活用している人や情報などに強い先生方で話し合いなどをしてみると発覚するのが、「ICTに慣れている人ほど、生徒を管理したがる」ということである。

自分のICT機器は全然フリーに使っていて、便利さを享受しているのに、生徒に使わせる環境は縛りたいと考える発想が自分にはよく分からないのだが、使い慣れているだけに、ろくでもない使い方の例もよく知っているのかもしれない。事が重大化したときのリスクが見えるのかもしれない。

この「使い慣れている人」の意見は職員間でも重く受け止められやすい。それだけに、使い慣れている人が「YouTubeはフィルタリングしよう」とか「クラウドは繋げさせないほうがいい」みたいな話になってくると、議論が全く進まなくなる。

また、もう一つの問題が、使い慣れている人ほど自分の使い慣れている環境を推しがちであるということもある。OSがどれがいいかという対立はなかなか激しい(笑)。個人的には、もうCromeなのだと思うのだけど……iPadも根強い。値段が高いのがネックなWindowsだが実質的にやれることが多いのもWindows。

また、使うアプリだって、iPadを使うことに慣れた人はoffice系のソフトはKeynoteやPagesがいいというし、自分みたいにWindowsに慣れている人はPowerPointやWordを推すのである。このあたりの意見の対立はなかなか難しい。ま…個人的には色々考えると、Googleが第一候補で、時点でofficeですね。Pagesなどは色々な他のサービスなどとの関連を考えても、使い勝手が悪い。

そもそも、OSがバラバラで授業が成り立つのか……自分は問題にならないと思っているけど、「できないでしょ」と言われてしまうのである。

授業を変える気がない人たち

授業でICTを使う気がない人たちには、ICTは遊び道具にしか見えない。だから、授業中はしまっておけという指示になる。

自分の授業がスタディサプリなどの学習系の動画サービスと比較され、値踏みされようと、「授業中に出すな」という強権を発動すれば関係なのである。これまで、授業が成り立ってきて、それなりに成果を出しているのだから、わざわざ時間もないのにICTを使わなくていい、という発想である。

世の中の変化があろうと、今すぐに何か困るわけがない。困ってから変えればいい。

そういう人たちに無理やりに道具を持たせることはできても、使うようになることはないだろうと思う。

個人的には楽天的に「子どもの姿が変われば使いだすはず」という意見は信じられない。子どもの姿を見て授業する人が、何年も同じノートを使いまわしているとは思えない……おっと、こんな愚痴や批判はよくないか。

ICTに対してネガティブな地点から生徒のことを見ている先生は多い。それだけに、いくら社会の変化や環境の変化を問うても、「だからこそ学校がデジタルデトックスしなければいけない」というようにもっともらしいことをやり返されるだけである。

繰り返しになるが、理屈で殴ってマウントをとっても、結局、何も組織としては動かないのである。良心的な人々を少しずつ巻き込みながら進めるしかないのだが……変えたくない人に限って声がでかいんだよ!!(泣)

トラブルを許さないということからの脱却は…

愚痴や恨み言になりそうなので、そろそろ筆をおくとするが、学校の、少なくとも自分の周りで、ICT化を阻んでいるのは「トラブルを起こしたくない」ということなのだろうと思う。

あらゆるものが「トラブル回避」を考えている気がする。

授業が上手くいかなかったらどうするんだ? → だから指導方法を教えろ

要らないトラブルが起こったらどうするんだ? → だから不要なものを入れるな

機材トラブルがあったら授業にならない → だからトライブの種は要らない

 

まあ、こんな調子である。

失敗前提、トラブル上等で、思い切りよく進められないものなのだろうか。まあ、厳しいのだろうなぁ……常に、引き算で採点されながら学校は動いている。

でも、それは、自分たちが子どもたちに向けているまなざしでもある。子どもの粗を減点していき、矯正するというモデルで教えることを考えているのである。あれができないからこれする、それができないならこうするといった具合に。

そもそも、そういう足りないことを教えて、矯正するという発想から脱却していかないと、ICTの居場所はないのだろう。

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