連休明けは慌ただしい。
体調不良に怯える
これだけ世の中でコロナが話題になっていると、体調不良で休みが続いている生徒の動向がかなり心配となる。
おそらく、若くて体力のある生徒たちは、それほど危篤なことにはならないとは思うのだが、いったん、蔓延してしまうと、学校は取り返しのつかないことになりかねない。
それだけに、すこし神経過敏に思えるくらいには、生徒の様子が心配である。
思い切ってウェブ化してしまうことはできないのか……まあ、そういう胆力があるとも思えない。
MIT Tech Review: 中国、新型コロナ対策で小中高生1億8000万人がネット授業に
ここで一度、「なんだ、ネットでいいじゃん」となったらどうなってしまうのだろう?
生徒の中には「スタサプでよくないか?」という声もちらほら…。確かに知識を覚えるくらいのことであれば、こういう時代ならば学校に来なくても……という気持ちはわかる。
学校に登校してくる目的や意味が問われてくる。生活全般のことを考えると、学校があることで規則正しい生活を保てている生徒もいるし、学校があるから平穏に過ごせている生徒もいる。
じゃあ、授業そのものは?
数十人で顔を合わせてやる意味は?効率的に教えることを是とするならば、登校すら必要ないウェブでの学びに敵うだろうか?
今のサイトを見ていると、こちらの想像以上にYouTubeを使うなどして、勉強にネットを活用しているシーンが多く見られる。
高学歴YouTuberの解説動画などは、眺めてみるとやはりかなり面白い(ことと質が高いことは必ずしも一致しないが、生徒には関係ない)。
以前にも紹介したが、こんなサービスがある。
授業ノートのシェアである。現代文でこれをやられると嫌だなと思う人は少なからずいるのではないか?
嫌だとは思わなくても、教えている内容の巧拙が知らないところで競わされていることになるのに何だか気持ち悪さを感じるかもしれない。
こうやって先に要点をまとめられてしまったときに板書を使って50分話し続けることにどれだけの価値を見いだせるか。
話そうと思えばいくらでも。でも、それによって何を教えているのか……となりそうな気もする。
便利になった世の中なのだから、それを教員が活かしてもいいじゃないか。
解説やあらすじの理解を生徒に調べてもらった上で、もっと自由闊達なことを、生徒たちに合わせてやれたらいい。
サービスや便利なものと対立して禁止するばかりが手段ではないのである。
現実と学校が離れていないか
現実の生活が便利に、豊かになっているときに、なぜ、学校の授業の時だけ不便を強いられなければならないのか。
それはスキルを磨くために必要なこともあれば、不必要なのに、慣例的に疑わないで続けていることもある。
豊かな情報があるなら、それにアクセスできる方法を教えることを授業で引き受けても良いし、時間をかけて力を蓄える必要があるならその道筋を見せれば良いのである。
ただの、教員の都合にならなければよいのである。