今年が終わってしまった。まあ…片付かないから要請の間隙を縫って、明日は登校するのだけど…。
私立だからと言って、無視できない。
勝手な運用はできないのが、一条校というものである。あと、普通に要請無視して事件になったら学校が吹っ飛びますね。
とにかく異常事態である。
痛みの本質は…
別に評価のことや評定のことは、いくらでもどうにでもなる。まあ……成績がボーダーの生徒が扱いが厳しくなるのだが…それもとりあえず要請の例外規定のところでどうにかこうにか…。
四月まで登校してこられないので、本日に一気に生徒に荷物を持ち帰らせるというような始末。ちゃんと一年の終わりには落ち着いて過ごしたいと思うのだが……。
自分の一年間の教えてきた授業がまともに授業締めすることができないのも、とても喪失感が大きい。何を教えてきたのかを意味付けできないままに強制終了されてしまうというのが、非常に苛立たしいしむなしい。生徒の学びの姿を見ることが楽しいし、その成長の姿を見届けることができないのは、とても悔しいのである。
自分の担任しているクラスだってそうだ。
緊急事態に対して、適切な対応をとるのは感情ではないけど、それでも、担任してきたクラスが、強制終了させられてしまうやるせなさはある。卒業式ならなおさら。大人が泣くくらいの理由にはなる。そのくらいの愛着がなければブラック労働一直線の担任なんてやってられんよ。
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年2月27日
年度の最後の日に、4月から頑張ろうということを話したり、一年間使ってきた教室を丁寧に大掃除したりしながら、生徒の成長を感じる時間はよいものであるのに、そして、喜びであるのに、何も余韻なく打ち切られてしまうのは非常に悲しい。
なかなか言いたいことがまとまらないので、悔しいと思いながらここまで。