生徒が登校を開始して2週目。少しずつ学校の生徒の活動を元に戻しているところ。生徒の活動が始まると、学校らしさが戻ってきたなぁと感じるのである。
急ぎではないけれど
少しずつ生徒の活動を戻している。休み時間に部活のことを顧問と話し合ったり、生徒会活動として少しずつ委員会の役員が仕事をしたり……そういう「今、すぐにやらなければいけないことではないけれども、学校の活動らしいこと」が少しずつ始まると、なんだか学校が戻ってきたなぁという感慨がある。
掃除についても感染リスクの少ないところから少しずつ生徒に任せるなど、だんだんといつも通りの学校生活を手探りで戻そうとしている。
掃除をしながら、少し無駄話をしながら過ごす……みたいなことがやっと少しずつ出来るようになってきた。もちろん、感染リスクのあることは避けなければいけないから、以前のようにダラダラとやったり少し騒いだり……とは難しい。
昼休みに生徒の昼食の様子を観察に回らなければいけないというのも、やっぱりなんだか息苦しいのだが、ゴミのことであったりつい意識が出来なくなったり…ということもあり、プレッシャーにならない程度には教室を回らないといけない。
いっそのこと、生徒と一緒に昼食でも取るか……いや、高校生にもなってそれは鬱陶しいな。
距離感を図りかねている
話すことが感染リスクになるというから、生徒に話しかけるということもなんだか心理的に難しい気分になっている。必要なことは声をかけるのだけど、無駄話のようなことを声をかけるのがはばかられる。なんだか教室に長居するのも、人口密度を増やすのでよくないような気がしてくる。
そもそも、三ヶ月の間があったので、どうも、生徒とも距離感がちぐはぐしている。担任こそオンラインで面談しているとは言え、自分のクラス以外の生徒はどんな様子かということは話にしか聞いていないので、イメージがつかない。
まあ、少しずつなじんでいくのだろうか。
顔を合わせて毎日学校で出会っているということが、どれだけ多くの情報量をやりとりしているのかということを改めて感じるのである。
そういう、生徒の生活の様子にべったりとしながら過ごしていたのだと言うことを客観的に感じるし、そういうべったりとした関係の中で自分が授業を作っていたのだと言うことも最近は感じている。
休業中にまったく授業準備が捗らなかったのは、何をやったらいいか分からなかったからだ。
授業をやっと作れる気がしている
教材名を並べるだけのカリキュラムを作るのは、とりあえずは出来るのだが、それぞれの教材で、どうやって授業をしていくのか……なんてことを考えると、まったくイメージがつかなかったし、授業を作れなかった。
もちろん、教材を読むことは出来るし、分析はできる。しかし、そこまでである。その先に授業が見えてこない。
何を読んだら伝わるのか、何が今、自分のクラスにとって必要なのか、どういう言葉なら伝わるのか……そういうことがパタリとイメージが分からなくなってしまった。
改めて読み直した一冊。自分の基礎・基本がどこにあるのかということをよく考え直すのである。