ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

上手くいく探究 上手くいかない探究

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コロナのおかげで割を食らっている探究学習。外にも出かけることが出来ないし、外から誰かを呼ぶことも難しい。

勉強がぎゅうぎゅうに押し詰まっているせいで、探究に対する生徒の方の食いつきもイマイチなのだが、そんな中でも生徒の様子に差が出るのだなぁ…と、最近は眺めていることが多い。

逆境はチャンスか

昨日、リクルートのキャリアガイダンスを読んでいたら、やはり探究の話題が出てきていた。

souken.shingakunet.com

※探究以外のことも読み応え十分ですよ!

このコロナ禍の状況だからこそ、今まで当たり前に見えていたものに対する見直しが進んでいるし、地元だとかつながりだとかというものに切実な問題意識が生まれてきているのは確かである。

SDGsでの探究の学びは、まさにこのコロナ禍の世界にはリアリティのある話題だ。

SDGsが問いかける経営の未来 (日本経済新聞出版)

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こんなに探究の話題に事を書かないことはなかろう……ある意味、ラッキーな時期に…なんて言ったら不謹慎だが、切実に探究をすることで、自分が何か出来ると実感できる時期にある。

面白くならない…?

一方で、ネタに事欠かないこの時期の探究であるはずなのに、あまり乗り切れない生徒が多くいるのも事実である。

様子をよくよく見ていくと、この時期のせいもあって、どうやら窮屈そうになってしまっているようなのである。考えることが何でもかんでもSDGsにされるのは面白くないし、自分の趣味でやっていることを地球規模なんて言わないでもっと、内々の趣味でやりたい……そいういう気持ちである。

あぁ…そうだよね。自分の好きなものをイチイチに、地球的規模の課題にされていたら疲れてしまうし、趣味がつまらなくよね。

別に自分の生活は自分の生活で大切だし、自分が本当に楽しいと思うことを価値の分かる人にまずは共有したいという気持ちもとても分かる。

なんでもかんでも深刻にされてしまうのは、とても堅苦しい。

まずは楽しさを

何はなくても、探究の事始めは、「自分の楽しいことを楽しいと学校で共有して良い」というところから始まらないといけないと思うのである。

探究の時間は本当は何をやってもいいはずなのに、社会の方が何をやったら良いかを枠組みを決めてくるのは、あまりに息苦しい。SDGsを探究に…ということを個人的にあまり好きになれないのは、一人一人が自分が自分の価値観だと思っているものを、ある枠組みで切り取れるものだと断定されてしまうような乱暴さを感じるからだろうか。

正直、SDGsを探究でやろうという話が出ているけど、生徒にSDGsをまともに調べさせる気もあまりしていない。Goalsなんていうけど、探究学習のGoalが自分の外側に用意されているって……やっぱりなんだか気持ち悪い。

SDGsが悪いのではなくて、まあ……探究をやるなら、外側から持ってこなくて良いんじゃないかなと思うのである。どうせ、乱暴な言い方をすれば、後付けでSDGsのどれかにこじつけることはできるのだから。

「これがどうしても好きでね…」とか「こんなことをやってみたくてね…」とか、そういうところから始めて良いんじゃないかと思うのです。SDGsを調べてそこから問題意識を広げましょう……という発想が、「どうなるか分からないものに付き合うしんどさ」をショートカットしたい教員にも都合が良いのかな……なんて意地悪なことも考えたりする(逆に、SDGsが自分の問題だと思っている先生のクラスの生徒の問題意識の持ち方も素晴らしいものがあるので……SDGsそのものではなくて、探究学習の当事者に先生がなっているか……ということに尽きるのだろう)。

せめて、生徒の話を聞いてあげて欲しいと思うのである。

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