電子化すると電子化するで、生徒の反応が変わったなぁというのが今年の感想なので、そのこともいつかブログに書こう https://t.co/opZRVsP1pT
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年7月10日
こんな話題を投げていたので、ちゃんと回収しましょう。
紙の大福帳については以下の過去記事からどうぞ。
なお、振り返りジャーナルも使っていたことはあるので、こんなまとめ記事を書いていることもあるので、今回はこの続編ということで。
手軽さならば電子化が強い
意外に思われるかもしれないが、大福帳を手軽に運営していこうというのであれば、電子化している方が絶対によい。
紙であればその場ですぐに記入できるからよいじゃないかと思うかもしれないが、紙の配布と回収、物理的にかさばること、手書きでの返信……などなどを考えると、デジタルでぱっと配ってもれなく回収して、キーボードで返信した方が全然労力としてはかからない。
仕組みの導入までは、慣れるまでに時間がかかるのも確かではあるのだが、慣れてくれば生徒も手書きで書くよりも楽なせいか、記述量も比較的増えやすい傾向にあるし、URLなどを生徒との間でやりとりできるので、指導できること幅も広いように感じる。
返信が間に合わないときはコピペで同じ文章を使い回す……なんて、切羽詰まった時にはやはりデジタルは強い。
まあ、一番の問題は何かというと、紙で配付していると生徒が過去の大福帳を高い確率で紛失するのですよ……。だからといって、こちらで100名超の人数の複数枚の紙を管理することはできないので、もう生徒が無くさないのを祈るしかなくなる。
せっかく書いてどこかで振り返りをまとめたいというのに、無くしているとそれが成立しないのである。
一覧性ならば紙
何のための大福帳かと言えば、読み返して理解を深めるためのツールなので、生徒自身が定期的に見直してくれないとあまり意味が無い。
その点、紙の大福帳だと物理的に配布されたときに過去の記入についても目に入ってくるので、自分自身の考えの変化などを無意識であっても見直しやすい仕組みになっている。
ところが、これがデジタルとなると、そうも行かない。電子辞書と事情はよく似ていて、目的とする情報へと一対一での対応になってしまうから、過去の記入などを見る機会が極端に減ってしまっている印象である。
紛失しないから残っているのに、あまり振り返りを読み直していないなぁという印象がある。
たとえば、スプレッドシートやExcelなどに、時系列になるように記入させるという手もあるのだが、それを回収して毎回毎回、確認するのは相当厳しい。
複雑な操作になると、生徒の方も……弊社の現在の環境では厳しい。
紙で追いかけると、一年分の振り返りの記述を見直すのも数分でぱっと一覧できるのに、デジタルにしてしまうと、いちいち、一回一回を開いて閉じて…を繰り返すことになるので、振り返りが非常にストレスフルになる。
書いてくる文章の質や量は
振り返りでもっとも大切なのが文章の質や量だろう。
この点については、生徒のICTの技術でも変わってくることなので、一概に「こうなるはずだ」とは言えないので、あくまで一例として。
自分の感覚としては、「デジタルの場合は書き方の指導をしないと上手くいかない」ということである。
と、いうのも紙の大福帳であれば、その紙のワークシートの形自体が、ある意味で「思考の形」を限定してくれる。例えば、分量。明らかに見た目で行数が決まる。また、一行の長さを調整すると、自然と生徒の一文の長さも変わってくる。
紙幅が限られていることもあり、書いてくる内容には自分なりに優先度をつけているのも見逃せないポイントである。
デジタルで「大福帳」を書くように指示すると、字数についても際限なく書けるので、きちんと考えて書こうとする生徒にはよいのだが、どうかたらいいかを考えつかない生徒には、「枠がない」ということのストレスが案外大きい。
その結果、紙で書くよりも文章量が極端に減るケースがある。紙であればゴールが見えているけど、デジタルだとゴールがよく分からない。だから、もうリタイア……というケースである。
また、逆にダラダラと書かれてもあまりよくないと感じる。授業の内容を全部書いてくるような生徒も中には出てくるが……自分にとっての振り返り…なのか?となってしまう。
あとは、スマホで入力させていると、生徒の普段の口語に近くなる現象が起こる……これは不思議なところだけど。
だから、デジタルで大福帳を書かせようとするのであれば、最初の段階でルールづくりをしておかないと、訓練にもならないし振り返りとしても効果は上がりにくいんじゃないかないと思う。
例えば、
- 三文以上で書く。
- 文と文の間に接続表現を使うこと
- 話し言葉は使わない
……と、まあこんな感じになるが、こうなってくると気軽に生徒とのコミュニケーションという色合いが薄れてくるのでイマイチ。
しかし、何かしらの線引きをしないと、質も量もバラバラで生徒との距離感もなんだか微妙な感じなのですよね。
何のための大福帳か?
まあ、色々と善し悪しはあるように感じますが、自分は基本的には大福帳は生徒に自分の言葉で自分のその日をまとめさせ、その上でコミュニケーションを少しでも取れれば良いかなと思っているので、質にはそれほどこだわっていません。書くことがなければお昼ご飯に何食べたのかを書いても良いよと言っているくらいだし。
そもそも、書くことの経験が少ないから、文字に思考を起こすという時間を五分で良いから確保しようというところから始まっているので、他の問題は…まあ、やりながらの工夫でよいと思っています。
もちろん、振り返りとして機能してくれることを期待しているけどね。それは、どんな内容でも一年間量的に書きためてきたときに気づくことだから、やりながら質までいきなり考えすぎなくて良いかなと言うのが自分の結論です。
紙とデジタルを生徒に選ばせたらどうかって?……はい、おっしゃるとおりなのですが、200名近くを抱えていると……収拾もつかなくてね…。二クラスくらいならやれそうですけど、それで…。