ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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半年ぶりの考査の作成

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半年ぶり…というかそれ以上の間が開いている。問題を作るという感覚が微妙にずれているので、リハビリしながら作成しているとどうも進みが悪くて、仕事の効率がだだ下がりしている。

考査のこだわり

考査の問題は基本的にはすべて初見の問題で出している。よく、国語のテストは授業でやったことを覚えていれば答えが書けるから意味が無いなんていわれることがあるが、そういう声にお答えして、全て、その場で解いてもらおうと思うのである。

まあ、意地悪なことを言うのをナシとするならば、国語の授業は別にコンテンツを教えることに力点があるわけではないので、授業の板書を覚えることが国語の授業だ……なんて思われたら敵わないのである。

文章を書いたり、要素を整理したり、表現を整えたり……まっとうに、授業の活動で使った能力を、パフォーマンスとして出してもらえるような問題を作りたいだけである。

Amazonだと恐ろしい値段がついているけど……、この本で書かれているようなことも参考にしながら、とにかく授業で鍛えたことを試したい。

ちゃんと授業のパフォーマンスが、方略として活用されることを目指したいのである。

授業で何をやっているのか

考査を作りながら、毎回反省するのが、「授業が生徒にとってぬるいんじゃないか」ということである。

いざ、授業の記録を読み直しながら、考査を作ろうとすると、実際に考査で出来そうなことがそれほど多くないのである。考査を作り始めてから「あぁ…あれもやればよかった…」という後悔を何度もしている。

自分の見通しのなさのせいであるが……授業がその分だけ生ぬるいんじゃないかという気持ちがする。

あれもこれも…と詰め込んで授業計画を立てても上手くいかないことが多いが、実際の考査の段になると、もっとやれたんじゃないかと後悔する。バランスが、カリキュラムマネジメントが全然、出来ていないのである。

実際に、読んだり書いたりするための方略を意図的に教えることは非常に難しい。口で言って分かった気にさせてもダメで、実際に授業の多くの時間で反復練習することも必要である。

自分にとって無意識になってしまっていることを、意識的に「こうだ」という形で示して、訓練する時間をきちんと取らないと行けないが、それには非常に多くの時間がかかる。だからこそ、集中力や体力の問題を見ても、課題をシンプルにしがちなのだが……考査を作ってみると、全然、伝えられていることが少ないと思ってしまうのである。

生徒自身が納得して、前に進んでいるときの理解の仕方はとても静かだ。決して爆発的ではない。待つことが多いのだ。

しかし、それが休みになってしまっていないか?そんなことを考えて、精一杯背伸びをさせないとなぁ…と思うのである。

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