いい加減、梅雨が明けないことにイライラしてきています。通学の手間が増える分だけ、生徒のストレスも大きいし自分自身も自律神経の調子が悪い。
いい加減、すっきりと晴れてもらいたいものだ……いや、梅雨だから今年は気温が高くならず、換気をしやすいとも言えるのだが。
まずはやってみよう
考査。
新一年生にとっては入学後初めての考査である。どういう試験になるのかが分からないで、「まあ、何とかなるだろう」と高をくくっている生徒が多くいるような雰囲気を感じるのである。
授業は楽しく、分かりやすく、自分たちでもちゃんと出来るという安心感があると、どうも考査のように地道にやらなければいけないところも、何とかなるかなとなりがちである。
いや……学年として、足並みを揃えて覚えてねということなどは、ごり押しで暗記しないことにはどうにもならないので、そこは頑張ってね。
さらに、授業で「わかった」と思ったことは、本当に「できる」ことなのだろうかということをきちんと問いかけて欲しいのである。むしろ、「知っている」という程度の段階で止まっているかもしれない。そうじゃないということを確かめるためには、実際に自分で読んでみたり書いてみたりというパフォーマンスをしてみることなのだが……残念ながら、授業で充分な時間を取れていないので、自分たちでやってみて欲しいところなのだが……ちょっと、甘く見積もられている感じはある。
ちなみに「知っている」「わかる」「できる」の元ネタはこちらね。
まあ……やってみることが大切です。
地道な習慣の差
違う学年にまたがって今年は授業を持っているが、一年の成長の差を大きく感じる。ずっと同じ学年だけを見ていると、全然、成長していないかのように見えて焦ることも多いのだけど、比べてみるとはっきりと「できる」ことに差があると感じる。
これは新しい発見だな。
一年の授業数は去年はコロナもあって50回くらいしかとれなかった(つまり、平均すると週1~2回)のだが、その短い授業でも、しつこく、繰り返し取り組んでもらっていることは、確実にスキルとして磨かれている。
今年に入って、ICTを活用するようになったことで、それが一層、手軽に視覚化と共有されるようになって、強く感じるようになったのである。
アプリの使い方を4月から地道な教えてきたら、このあたりに来て、課題に対して自分たちで「ああしたい」「こう使ってみたい」という提案が生徒の方から出てくるようになった。どうぞどうぞ、その便利なスマートフォンは学びや知的生産の道具としていくらでも使えるんですよ。使わない手がない。
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年7月15日
与えた課題に対するアプローチとして、色々な道具を使ってみようとしているが、これは新入生には見られないのだ。
やり方を知らない?いや、上級生も今年の4月からだ。単に、道具を使って良いということを知らないのだ。
なんだか、そういう姿を見ていると、自分の仕事は効率よく、手段と方略を教えつつ、試行錯誤をしてよいのだという文化を教室に根付かせることのように思えてくる。
まあ…考査がそうなると作れないのだけど、そもそも考査のために授業してどうすんだという話もあり……あ、模試の偏差値は心配していない。押さえるべきところを押さえればちゃんと保障できるし、実際、結果も出ているのでとりあえず安心。
自分でやってみる。自分たちで検証してみる。
そういう文化はどうすれば育つのでしょうね?