酷い残暑の中、学校が再開されているが、暦の上では秋であることもあってさすがに夕方はずいぶん秋めいてきたなと感じるのである。
秋来ぬと
古今集を最近は読んでいるせいもあって、あまりに有名な次の歌を思い出すのである。
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる
(藤原敏行 「古今和歌集」(巻四)秋歌上・169)
秋の一番目に配列されているこの歌は、秋の始まりを予感させる名歌である。そして、毎年、この時期になると実感される感覚なのだ。
今週も、どうにかなりそうな、命の危険の危険を感じそうな真夏の暑さに手こずったわけだけど、夕方、日が暮れる頃に帰ろうとすると夕暮れが早くなっていることに気がつく。そして、そのころに吹いてくる風が、真夏の熱波と湿気を伴ったものとは違って、少しだけ乾いたような、涼しげな風なのである。
まさに、目には見えないけれども、秋の到来を予感させるような、そういう風なのだ。
相変わらず、昼間は冷房がろくに効かないような状態で、授業をやっていますが……この暑さもあと数週間もすれば、懐かしくなってしまうのだろうか。自分は暑さよりも寒さの方が身に堪えるタイプであるので、夏が去りゆくのは少しだけ寂しい。
古今和歌集では、秋の始まりは「風」の和歌が続く。その風の温度が少しずつグラデーションで変化していく配列も楽しい。
み吉野の 山の秋風 小夜ふけて ふるさと寒く 衣打つなり
(参議雅経「新古今和歌集」秋・483)
こちらは新古今となるけど、いつのまにか、こうやってもの悲しい風が冷たく吹いてくるようになるのだろう。暗い夜の、長い夜の、寂しさを痛切に感じるようになる。
まだ、少し気が早いかな。
出願の季節
そうこうしているうちに8月も残り約一週間である。いつもと同じようなカレンダーで生活をしていないので、季節感が失われているのだが、9月になると受験生はいよいよ出願が始まる。
その準備に向けて、志望理由書の添削の依頼などが数多く始まっているし。面談を希望する生徒も少しずつ増えてくる。
いつもとは違う一年だからこそ、いつもと同じような生徒の姿に少しの安心感を覚える。当人たちは、これからどうなるのかが不安で仕方ないところであろうけど……きちんと準備をしてきている生徒には良いことがあると思うよ。
非常時だからこそ、「ちゃんとする」ことが大切なのだ。振り回されてしまうことがあまりに多い。
荒場になればなるほど、自分がぶれないような軸としての日常の生活を大切にしておくことが必要なのだ。
過ぎゆく日々に対する愛惜を持つようになると、日々の生活の中の当たり前に思えることに対して丁寧な生活をするようになるのだ。去りゆくことに対する口惜しさから、今の生活を丁寧に過ごして欲しいものだ。