教員の仕事は日々、授業という場でのアウトプットが求められていると言えるが、それ以外にもちゃんとアウトプットの場を確保する必要があると思うのです。
授業は最強のアウトプット
一応、前提条件として触れておくと、教員にとって授業という場は、最強のアウトプットの場である。というか、アウトプットを出来なかったら授業が成り立たないのである。
それは昨今のアクティブ・ラーニングでも主体的・対話的で深い学びでも、同じである。生徒が主体的に動く授業であっても、その生徒が活動するだけの価値のある課題や場を創り出すのは教員のアウトプットである。
よいアウトプットのためには、教員は良質のインプットが必要となるし、同時に、インプットしたものを、最良の形でアウトプットできないといけない。
いきなり新任の先生が上手く授業出来ないのは事実だろうが、場数を踏むと見違えるように授業が出来るようになるのは、授業が強烈なアウトプットの場だからである。生徒からの生のフィードバックは、中途半端な忖度は入り込む余地はないし、授業で40人の前に対峙するのは自分一人なのである。そりゃあ、七転八倒、全損事故を起こしているうちに、嫌でも勘所というものが分かってくるのである。
インプット→授業計画→授業の実践・アウトプット→振り返り…と、延々と毎日がPDCAの繰り返しである。
授業以外のアウトプットは?
授業は逃れられない強力なアウトプットの場であるのだが、そこにあぐらを書いていると、だんだんと裸の王様になってくるのではないかという危惧がある。
確かに、生徒の授業に対する態度は強烈なので、フィードバックとして効果的なのだが、だんだんと慣れてくると生徒から冷たくあしらわれても、神経を図太く授業を続けられるようになってくる(というか、そういうメンタルの強さも身につけないとやっていられない部分はある)。
そして、「評価」という権利を持っているのが、教室の中だと基本的には教員だけであるので、だんだんと、自分の授業に対する正当な評価というものが分からなくなってくるのである。
自戒を込めて書くのだが、「評価」することに慣れていると、「評価」されることに極端に抵抗感が出るようになる。
たまに新しい資格取得のために勉強してレポートを書いたり、教員免許更新のためにレポートを書いたりすると、極端に評価を恐れている自分がいるなぁと思うのである。
だからこそ、積極的に、自分が評価される場所、アウトプットの場所を探した方がよいと思うのである。
研究授業で
教員のアウトプットの第一には、研究授業があるだろう。自分が新しい授業を考え、提案し、それについて同僚からフィードバックをもらうという方法。
シンプルだけど、周りから「評価」をされるという経験自体が、それなりに意味があるだろうと思う。
また、自分が授業のために色々と本を読んだりイベントに出かけて行ったりしているのであれば、そこで学んだことを持ってきて追試するという形でも、周りに十分に良い形での情報提供になるし、自分にとっても手に入れた知見の理解が深まるのである。
まぁ…気をつけないと、評価されるときも評価するときも、一方的なアラ探しになりやすいのだけどね…。
大会で発表する
各種、教育研究の大会でも自分の授業を発表する機会はある。
たいてい、自分から手を挙げれば、そういうチャンスはどこかで回ってくる。内部ではなく、忖度のない外部から客観的な意見が聞けるのはよい機会である。ただ、もちろん、その分だけちゃんと話を聞いてくださる方々に損をさせないために、莫大な時間をかけて資料の準備などは必要になる。
それが非常に大きな勉強になり、効果的にアウトプットにはなるのだが、通常の業務にプラスアルファで準備しようと思うと、なかなか辛いのも事実である。
本当は仲間を作って少しずつ進められると良いのでしょう。
色々な書き物をしてみる?
なかなか大会発表まで行くのは大変だろうし、研究授業も楽ではないので、日常的なアウトプットには向かない部分がある。
経験的、アウトプットは一旦途切れてしまうと、再開するのはなかなか億劫なものがある。
そう考えると、大物のアウトプットばかりではなく、日常的にこまめに継続することが必要だろう。
そんなわけで、校内のちょっとしたお知らせに記事を書いてみたり、新聞の投稿欄に投稿してみたり、ブログを書いてみたりという行動に挑戦してみるのも悪くないのではないだろうか。
授業には直接的には関係しないのかもしれないが、誰かに読まれることを意識して真剣にアウトプットしてみるということに価値がある。
何かをアウトプットしようと思ったときに、やはり真剣に勉強するのだ。
そんなわけで、学校の先生たち、ブログを書こう。毎日書こう。