期末考査の時期で、2020年の授業のゴールが見えてきた感じがする。毎日が、勝負だなと思うのである。
一発勝負ではない
教職の勘違いされやすいところの一つが、一回限りの単発の授業ならばそれなりに素人でも上手くやれてしまうということにあると思う。四六時中、生徒とともにいて、保護者との関係もあり、卒業後も付き合いが続く可能性のある教員の立場では、一回限りの面白い授業では済まないことが数多ある
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年11月17日
逆に言えば、現職の教員が、一回限りのカリキュラムマネジメントもへったくれもないただ面白いだけの授業で満足していたら、専門性も何も無くなってしまう。子どもの楽しそうな姿や活発そうな姿に目を曇らせたら、教員としては終わりですよ
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年11月17日
今年は授業の回数が減っているとはいえ、6月以降は夏休みを除いて、ほぼ毎日のように顔を合わせているのである。うっかりすると、うっかりしなくても、保護者よりも顔を合せている時間が長いのである。
否定しようにも、否定し得ない濃密さの中で、生活しており、そういう文脈をもって授業をしているのである。極端なことを言えば、担任するクラスとそうではないクラスではやはり温度差は生まれることは否定できないし(ひいきとか不利益が生まれるようなレベルではもちろん無いけど)、生徒指導などで関係がこじれると授業だって上手くいかないことはいくらでもある。
授業数が少ないと、毎度毎度嘆いている自分ではあるけど、それでも年間で数えると60回以上は授業がある。
それだけ何度も顔を合せているのだから、一回の授業の浮き沈みだけではなく、年間で結局、どこまでたどり着けるのかと言うことを周到に考えながら、授業を進めざる得ないのである。
つまらない、単調な授業が続く時期だってあるし、苦手を押し通して生徒を苦労させる時期だってある。
むしろ、そういう時間の方が長いかもしれないな……。カバーすべきことは多いし、抜け漏れを作らない責任だってある。「ああ、これをやると苦労するだろうな」と思っても強行しなければいけないことは大いにある。
方法のパッチワークでは
方法のパッチワークが根本的にダメなのは、この長期的な見通しが立たないからだと言えよう。
毎日の授業は苦しい。生徒が乗ってこない状況で、アウェイで授業するのは苦しい。だから、上手くいくという方法に乗りたくなる。
でも、それを繰り返していると、結果的に、統一性のない方法の寄せ集めで、結局、年間でどうしたいのかということがブレて、行方不明になってしまうのである。
しっかりとした軸を通して、迷子になることなく、やるべきことをじっくりと続けるしかないのだ。