考査までの授業数がカウントダウン。考査に間に合うように帳尻あわせをしながら授業しているのは、不健全な気もするが「あれもこれも」とやりたいことはあるのです。
それなりにネタはあるけど
休みもあったおかげで、細々とした授業のネタの収集は出来ているのだが、授業数をカウントしていくと、それらのネタを昇華?消化?するだけの余裕がない。
基本的に、どの単元でもそうなのだが、生徒の様子を見ていると「もう少しやれそうだな」と欲張りがちになる。結果的に、授業時間が押せ押せになっていき、そしてそもそも何をしたかったんだっけ?となりがちなことが反省である。
「逆向き設計」的に考えるのであれば、「その単元の本質的な問い」がちゃんと精査されていないと言って良いのかもしれない。
結局、授業時間が押せ押せになると、自分が駆け足に内容を解説することになってしまうので、あまり健全でもないだろうと思う。
しかし、高校2年生も終わりまで来ると、いよいよ扱う内容も抽象的なので、なかなか自力で……とはいかないものである。とはいえ、自分で粘って考えないと、そういう抽象的な思考も身につかないので、授業時間数と熟考の時間の綱引きになる。
思考する教室をつくる概念型カリキュラムの理論と実践: 不確実な時代を生き抜く力
- 作者:H・リン・エリクソン,ロイス・A・ラニング,レイチェル・フレンチ,H. Lynn Erickson,Lois A. Lanning,Rachel French
- 発売日: 2020/09/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
この本も中途半端に手をつけて、いいなぁと思いながら終わっているので、そろそろちゃんと消化して、三学期には活かしたいところ……。
パフォーマンス疲れにならないように
単元のまとめに近いところで、パフォーマンスを求めがちになるのだが、考査直前にもなってくると、生徒がパフォーマンスに安心して取り組めないのである。それなりに身になることをやろうとすれば、授業時間以外も取り組まなければならないが、考査前にそれをやってしまうと、生徒の方が考査でそれどころではなくなってしまうのである。
中途半端にアリバイづくりでパフォーマンスをさせるくらいならやらない方がマシなのである。
だからといって、考査後にまとめの課題を出すというのも、生徒にはウケが悪く……。いや、結局、何の勉強をしているのか、考査の得点の高低を競っているわけではない……と割り切れないところが厳しいところだ。
ゆとりをもって授業をしたい……と思うのだが、ゆとりのない生徒は、授業の方にゆとりを出すと、そのゆとりで別のことをし始めるなんてこともままある。そりゃあ、ペースが遅いなら、さっさと終わらせて、全然終わらないことを終わらせたいということもよく分かる。でもなぁ……ペースを冗長に緩めるのは、その余裕を詰め込むためではなくて、余裕をもって遊んでみたり同じ事を繰り返してみたり、自分の足跡を振り返ってみたりしてほしいからなのだけど……なかなか、そういう気持ちになれないくらいには余裕がない。
せめて、考査が開けた後の、休業に入るまでのところで、のんびりとした何かに挑戦してみたいところだ。