ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

創作の妨げになるものは

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自分の趣味の話ではなく、授業の話。

授業で楽しく創作したい

個人的な趣味・嗜好から言えば、授業の中で創作をすることには積極的に取り組みたいと思っている。

次期学習指導要領でも、「言語文化」などで創作に関わる言語活動例が結構、踏み込んで書かれていたりもする。

「言語文化」の言語活動例

ア 本歌取りや折句などを用いて,感じたことや発見したことを短歌や俳句で表したり,伝統行事や風物詩などの文化に関する題材を選んで,随筆などを書いたりする活動。

(「平成三十年 高等学校学習指導要領 国語編」より)

なんやかんや短歌の創作を機会がある度にやっているのは、本格的な創作よりもハードルが低い分、単元として立てやすいという理由は少なからずある。

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ただ、そういう短歌の創作の授業であっても、身にしみて感じるのが、「授業数が少ないと煮詰まらない」ということである。

生徒の日常生活は、一つの創作にばかり気持ちを向けられるほど平板ではない。とにかく隙があれば色々なものが詰め込まれるという生活をしているので、国語の授業の創作なんてものは、授業がなければ流されて消えていくのである。

週に2単位の授業だと週に1回しかないということはよくあるし、下手をすると半月くらいなかったりすることもザラにある。

そういう中で、生徒の自助努力で創作の質を上げろ…というのは厳しい。

どれだけの時間を…

生徒の言語活動の質がどれだけ向上できるかは、生徒にどれだけ関わったかということが大きい。生徒の表現したいという気持ちを引き出すのも、生徒への働きかけの成果という面は非常に大きいし、出来上がった作品を少しずつ良い物へと書き直していこうという気持ちが生まれてくるのも、相互のフィードバックの成果である。

そういう創作への意欲が後押しされる場は、授業でなければ難しいし、授業で保障しないで生徒の丸投げ……というのは厳しい。

生徒の、言葉への向き合い方というものを考えると、直接のカンファランスの意味を感じるのである。

In the Middle: A Lifetime of Learning About Writing, Reading, and Adolescents

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  • 作者:Atwell, Nancie
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ICTで誌上でのやり取りも大分ハードルが下がったと感じるが、オンライン上でテキストでいくら介入しても、なかなか上手くいかないことも多いと言うことを感じた一年でもある。

いくらでもオンラインなら時間が取れるのに、活用にまで気持ちはそもそも向かない。

やはり、場を共有して、ある意味で「逃げられない」という縛りも必要なのかなぁ…。

安易に、生徒に創作を投げておいて、授業で「じゃあ推敲・添削します」なんて設計が上手くいくわけ無いと思うのは、次のような大村はまの言葉を覚えているからである。

どんなものが書けるかということよりも、書くのがいやでない、あんまり苦しくない、何かの折にふと鉛筆を持って書いている……そういうふうになることができたら、ほんとうにしあわせだと思うのです。そしてそういうことは、長い間、習慣のようになっていかないと、できないことなんです。

(大村はま1983『大村はまの国語教室 第13巻 国語学習のために 』P.407より)

これが、大村はまが「学習記録」について述べているところの一節である。

資料編の学習記録を見れば分かるが……あの生徒の学習記録は「筆まめ」どころの騒ぎではないとは思うが……そういう質と量が生み出されるのが、徹底した授業での「書くこと」への指導の成果だと思うと、授業前に書いてこい…という創作の授業はもちろん乱暴だ。

しかし、週に1回くらいしか、顔をあわせないこともある高校の授業で、ここまでしっかり生徒に向き合って授業出来るのだろうか。

高校の実践の大きなハードルは、生徒との関係がドライなことにもあるのかもしれない。

せめて、週3回くらいは授業が安定してあると色々と出来ると思うのだがなぁ……。

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