ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

長い2学期が終わる

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やっと長い2学期の予定が終了。

こんなにしんどい学期は初めてかもしれない。

長い

授業数を確保するために、夏休みを早々と切り上げて、授業を介したわけだが、その分だけ出校定数が増大している。

この増えた数が、たった二週間という印象以上に、心身にかなり不安があったように感じる。少なくとも、自分は自律神経の調子がもともと悪いので、労働時間の総量が増えたことがてきめんに体調不良に繋がっている。

生徒の様子を見ても、コロナ関連の出席停止の生徒数まで含めて、学校に来ていない生徒の数をカウントすると、例年とは比べものにならないくらいに増えるんじゃなかろうか。この辺りの数値はきちんと数字で把握して、本当に早く学校を開くこと、長くストレスのかかりやすい状況で学校を開くべきだったのかということは検証すべきだろう。

学校に登校させることで、脱落する生徒を増やしてしまうのは、あまりに本末転倒である。その一方で、オンラインでの受講の環境を整えるなど、生徒の安全のための選択肢を増やすだけの努力をどれだけ学校はしてきたのか。

もしかすると、この感染者数の増大の状況を見ると、あと数ヶ月で答え合わせせざるを得ない状況が起こるのではないかと恐れるのである。

また、教室にいると見えていないと反省するが、保健室がかなり大変なことになっているのではないかという怖れがある。

ただでさえ、コロナ対策での激しい仕事量の増加がある上に、精神が不安定になっている生徒は確実に増えており、保健室が各方面から頼られてしまうのである。

コロナを不安に思い、精神のバランスを崩している生徒の情報をどれだけ拾えているのだろうか。それを「気が弱いから」なんて無神経ないいかたでスルーしてしまっていないか。

すっかり、オンライン授業なんて言葉は聞かなくなった。「対面が一番」「学校に生徒が通ってくるのがいい」という一点張りで、不安に対する代替の選択肢を真摯に考えることにリソースを割くことを後回しにしていないか。

新聞を読んでいて、見えてくる華々しいコロナ下での学校生活の成功事例の浮き足立つ姿に、そんなことを思うのである。

ここで立ち直るか

いずれにしても、もうすぐ学校が止まる。

学校が止まることで人の流れが変われば、また感染者数が減ってくるだろうか。そうすれば、精神的にも安定する生徒が少しは増えるのだろうか。

肉体的にも精神的にも疲労した生徒たちにとって、二週間の休養で、色々なものがちゃんと回復してくれるだけの時間になるだろうか。

いずれにしても、そろそろ心身に限界が来ているように思う。

限界の閾値が低いという批判をされそうな気もするが、事故ってからのリカバリーなんて方法が、生徒のためにならないのは言うまでもないだろう。

強くて、「普通」であることが、学校に通う条件になってしまっていいのか、とぼんやりと思うのである。

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