ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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ブログは「ふり返り」になるか

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1700日近く連続でブログを書き続けてきましたが…。

結論は決まっている

あまり引っ張っても仕方ないので結論から言えば、「ブログをいくら書いてもふり返りにはならない」というのが自分の中の結論である。

それは自分のブログがただ単に思いついたことを日々、垂れ流して書いているというだけではなく、本気で毎日授業のことを書いたとしても、ふり返りにはならないだろうな、という感覚がある。

「ふり返り」って何?という話を突き詰めて考えるのは難しいので、ここでは何となく日々の自分のことをちゃんと書き記し、折に触れて読み返して自分の今後を変えていく行為…くらいで捉えておく。

自分の日々のことを書いて、後から読み返すという意味では、ブログの役割も似たようなものである。実際、自分がブログを書き続けているのは惰性であるし、後から読み返して反省するためである(あとは、国語の教員として、日々、自分がある程度まとまった文章を書き続けることで、言葉を使うという行為から逃げないため…という自分なりの縛りでもある)。

しかし、やっていることは似ているのだけど、本当に自分の変化を願うためのふり返りとしてブログを考えるには、ブログは自分に対して甘すぎるのである。

素のままでは書けない

ブログは当然ワールドワイドに公開される文章である。この前提は大きい。

だから、そもそもブログには授業で起こっていることの詳細に書くことは個人情報の問題からも難しいし、そもそも誰かに読まれることが前提になると、自分のやっているこをよく書いてしまうのである。実際の教室で目の当たりにしている嫌なことについては目をつぶって、自分にとって都合の良い話を選び出して物語ってしまうのである。

日々の実践は、授業だけではない。

授業に入る前から生徒との関係が始まっており、生徒の日常の様子をジッと見つめて何を授業で扱うべきかとあれこれと考えているような、とりとめの無い思考はブログのネタにはならないので書くことはない。

生徒から集めた提出物に目を通しながら、自分が何を教えて、何が足りなかったのかと苦悶することを、ブログに書くこともない。

また、授業のことについても、自分の一方的なまなざしだけで語りたいことを語るだけである。上手くいかないとき、何もない仕込みの時期のこと…そういうもっと地味な話を誤魔化して書いているのである。

授業中にしても自分の見たいこと、書きたいことしか書かない。やはり、見せたい物語を語るだけなのである。

21世紀CoDOMoSくらい徹底するなら、記録としても価値があるのだろうと思うけど、こんなことはとても出来ない。

www.u-gakugei.ac.jp

※これはこれで参考になる資料なので是非。研究授業のアーカイブスのニーズってあるのかな?色々なところでそういう話を聞くのだけど、21CoDOMoSは知られていない感じがする。

ふり返りを書くならば…

個人的に、ふり返りを書くならばクローズドなところに書き続けるとは思う。本気で誰かと書きたいと思うならば、echoなのだと思うけど。

www.asobusiness.com

サブスクリプションサービスとしては格安だと思う。

ここまで今のところ本気でふり返りを書くだけの元気が自分にないという自覚はある。しばらくは自分でコツコツと進めていきたいと思っている。

幸いにしてNotionで授業準備とふり返りを進めるのがなかなか気分がよい。

www.s-locarno.com

www.s-locarno.com

ただ、これも内に閉じているものであって、なかなかちゃんと質を保って書くだけのことは難しい。やはり本気で突き詰めるのであれば、誰かと共有してやることが重要なのだろうと思う。

そうだなぁ…まずは、ふり返りを書いているファイルを職場で共有して、誰でも閲覧可能にして読んでもらうってところから始めれば良いかなあ何て思うのである。

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