年度最後の授業が終了する学校が増えてくると思われます。
最後の授業
教える方としては最後の授業はあっさりと終わらせたい。自分がいなくなっても別に彼らの学びは続くのだ。
誰かでなければ勉強でないという生徒を作ってしまったのであれば、一年間の教育の失敗である。一年くらい教えれば、あとは自分で必要に応じて取捨選択することができるような能力を身につけて欲しいところ。
個人的にはずっと高校1年生を教えてみたいところだ。1年生でちゃんと習慣が身につけば自力であれこれできるのだというところを目指してみたい。
比較的、気分的に受験指導に食傷気味なので、受験に汲々としないで、もっと楽しく学びと向き合える姿勢づくりに力を尽くしたいなと思うのである。
まあ…突然、来年からいなくなるってことがありえるのがこの仕事の宿命ですから。
自分の指導する生徒に対して
自分が指導するホームルームの生徒に対しては、毎日、しつこくちゃんと最後の挨拶は盛大にせよと言う。
一年間の恨み辛みや怒りはあるかもしれないが、どんなことがあったとしても、自分に対して何かを与えてくれた人にはちゃんと誠意で返すべきなのだと言うことをしつこくいう。
そもそも、一言「一年間、ありがとうございました。」という10秒もかからない手間だけで、ずっと自分のことを評価してくれる味方を増やせるのだから、そもそも得なのである。功利的な言い方であるが、道徳的な気持ちを込めてまでするような話でもないし、気持ちで挨拶する、しないを独善的に判断してしまうよりもよほどマシのようには思うのである。
自分がどう見られるか、自分の振る舞いをコントロールできるというのは身体的な訓練の成果である。
まずはやってみてから、どういう反応が周りから得られるかということを予行練習するのが学校という場である。ちゃんと、節目の挨拶の意義を、試してもらいたいものである。
きっと、その経験は自分たちを助けてくれるよ。そう信じてしつこいくらいにやらせるのである。