ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

手を動かして準備する

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授業準備はいつでも行き止まりである。

授業準備は机上の空論ではない

授業準備に頭を抱えない日はない。いつでも授業ギリギリまでどうするのかが見えないで苦しむのである。

だいたい、行き詰まってくるパターンも分かっている。

授業準備に苦しみ出すと、頭の中で「これはだめだ、あれはだめだ」と頭を抱えていて、授業でやりたいことをシミュレーションするだけで却下してしまうということを繰り返す状態に陥る。

こうなるとあまり良くない状況である。

授業で扱いたいとピン!とくるものは、それなりにその言語の素材に魅力を感じているのだから、本当は頭の中でいい加減なシミュレーションをしていないで、実際にその言語材で言語活動をしてみるのである。

授業で生徒がどのような活動をするのか、どのようなアウトプットをするのか、どのような困難があるのか……そういう授業を作るために必要なことが、自分で言語活動をしてみれば気づくことが多いのである。

どんな授業づくりの解説書にも「自分でやれ」ということは書いてあるのである。

ただ、厄介なことに、そういう言語活動を自分でやることは精神的なハードルが色々と高い。まず、とりあえず、面倒くさい(笑)。いや、これはダメな理由ですよ、面倒くさいと思うことを生徒にやらせるな、である。

とはいえ、毎日の雑務に追われていると、自分で何か「作品」を作ってみるという活動をすることがとても精神的な負荷に感じるのも仕方ない。

でも、授業は生き物だ。自分の想像だけで動くほど上手くいかないのだ。

面白い単元を作りたいと思うなら

いつだって生徒が面白がって取り組む授業をしたいと思うのは、教員の心情である。

ただ、それが小手先の工夫になって、何かパターン化できるものだと思い始めた瞬間からダメになっていくのである。そういう小手先のパターン化を子供騙しという。

子供騙しは子どもをバカにしている。伸び盛りのものをバカにしてはならないのだ。

本気で面白い授業を作りたいなら、自分が本気で面白がる言語活動を取り組んでみないことには始まらない。活動しても「ここが面白い」「ここが楽しい」と思うことを本気で思っていないと、生徒に投げかける言葉も押しつけがましい命令口調になりやすい気もする。

自分でやってみて「こういうことが面白いんだよなあ…」という言葉で生徒を支援できるような授業を展開できると、落ち着いた授業になる。

そんな気がしています。

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