本日は二十四節気の白露だそうだ。今年は残暑が残ること無く、急に秋めいて来ており、とても穏やかな秋になっているように感じる。その穏やかさとは裏腹に、かなりの苦闘が現場では続いている。
出口が見えないままに
現場の苦労の原因は言うまでもなく、緊急事態宣言の影響である。
誰もが予想したとおり、九月の中旬ではどうにもならずに、緊急事態宣言が続く。二学期の始まりを、緊急事態宣言を理由として登校を削減する方向で調整した結果、授業はオンラインがフルに活用されている状態である。
完全オンラインならばまだしも、おそらく、ハイブリッド授業で学校と自宅の両方に気をつけながら授業することになっている現場は、相当に疲弊を始めているのでは無いかと感じる。
やってみるとよく分かるが、結局、1コマに2種類の授業を同時展開しているのと同じなのである。いくらオンラインでライブで中継しても、本当に生徒の理解度を考えて授業をするならば、それは2種類の教え方を用意しなければ無理なのだ。つまり、授業を2種類……。
そのような無茶がそれほど根性論で続くわけも無く、真面目にやろうとすればするだけ、気が滅入ってくるのである。
この延長幅と学校の対応の仕方いかんによっては、かなり苦しいことになるのでは無いかと思われる。むろん、生徒の受講の利便性や成長の保障などを「仕方ない」という言葉で普段よりも諦めるのであれば、無理もまだ利くというものだが……そのような判断はありえないだろう。
何も考えずにライブ配信でハイフレックス型授業を始めてしまった学校は、これから先は感染者数の数が減ってくるのだから、登校を増やすターンになる以上、今から完全オンラインに切り替えて負荷を減らそう…という方策はおそらく取れない。
泥沼になることを覚悟で、緊急事態宣言が開けて、社会情勢が許すまで、負荷の高いハイフレックス型授業を続けることになるのだ。最初に選んだ手を改めることは難しいし、そういう改めるという習慣があるなら学校はここまで泥縄の対応になんでもかんでもならないのである。
学習者の視点を
嫌な言い方をすれば、学習者の視点を中途半端に扱っているから苦しいのだ。
極端に学習者の都合を無視した方に振れば、ライブ配信の質や学習時間の融通を気にしなくて良くなるので、授業する方は楽になる。授業の配信を聞かないのも相手が悪い、定着しないのも生徒が悪い、そういう割り切り方もある。
逆に生徒の都合に寄せて、授業で伝えようとする量を精選して、取捨選択して、諦めて対応するという手もある。正確に教えることや知識を拡充することにある程度の見極めをすることで、生徒自身がクリエイティブに探求したり工夫をしたりすることに重点を置いて、教員がその支援の方に割り切るという方向だ。
中途半端に教えたい、でも生徒の様子が気になる…とフラフラしていると二種類の授業を展開するしか無くなる。
どこかで自分の授業の方向性は示すべきなのだろうなと思う。
自分はなぁ……受験学年というのがなかなか難しい。