緊急事態宣言の延長で、オンライン授業延長の学校が大変多くなっていると思われます。いつまで続くのかを考えて取り組んでいる学校がどれだけあるのか、厳しさを感じますね。
ハイフレックス型授業の厳しさ
緊急事態宣言が伸びたことで教室とオンラインで同時に授業を展開するハイブリッド授業、ハイフレックス型の授業が継続になる可能性が非常に高い。これがなかなか負荷の高い、トラブルの多い方法なのだが、なぜか、この方法が強く迫られているように感じる情勢である。
この教室の様子をタブレット・スマホで見られる…というのが、本当に良いものなのかは教員も、保護者も、周囲の大人も冷静に評価してもらいたいところだ。教室の貧弱な設備では、YouTuberの配信のような快適な視聴にはなりにくいのだ。しかも、朝から晩までとなると……。大会に代表されるようになんやかんやと理由をつけて部活動も割と動いている様子もあるし、他の分掌の業務だってなくならないので、業務の量は増えていく一方である。だんだんと借金が増えていく厳しさがある。
学校にいる当事者としては、数週間の配信と数ヶ月、半年、一年というスパンや切り替えが何度も行われうることを前提に設計できなければいけないのではないかと感じる。本当に10月で通常登校になるのでしょうかね?どこまで教員が耐えられるか……。
また、そもそもライブ配信でどこまで生徒が我慢できるかということもなかなか恐ろしい問題である。今は比較的、目新しいので食いつくかもしれないけど、これでだんだんと疲労が蓄積してくると、今の形態で耐久出来るだろうか?
長期戦は現状厳しい
長くなればなるほど、ありあわせの道具でハイブリッド授業を続けるのは辛い。そう考えると、設備投資があまり進んでいない学校にとっては、根本的には長期戦には厳しい。
本気で対応していくのには金がかかるし、道具だっているけど、一年半前に経験しておきながら決してその優先度は高くないのである。決して軽視しているのでは無く、根本的にお金が足りない中で優先度をつけながら取り組んでいるのである。
教員の優先度も明日の授業のために余裕が無ければ、長期戦のことよりも明日の授業で手一杯になるのだ。このあたりの自転車操業感は構造的に仕方ない。
それでも、意欲と熱意と善意のある先生方の発信のおかげで様々なノウハウや情報にアクセスできるのだ。現場ではもがくことで一杯でも、全国の教員のネットワークでなんとか耐久力を保っているような感じもある。
とはいえ、そういうリソースにすら、忙しくてたどり着けない現場は少なからずあるだろうと思う。だれが幸運に情報に繋がれるのかということである。
教育の質の問題
授業者の体感として、分散登校のように、登校する子ども、しない子どもが入り混じった状態はだんだんと何を教えて何を教えられていないのかが分からなくなってくる。
記録を取っていても、感覚が狂ってくるのだ。そうなると不公平感なく教えることはできているのか、とても不安になるのだ。
たとえば、観点別評価などはとてもじゃないけど、公平にできる気が自分にはしない。
さらにいえば、観点別評価のような複雑な評価が厳しいのは当然としても、学びに向かう姿勢を支えるような形成的な働きかけもかなり難しい。
そもそも働きかけがないと学びに迎えない生徒は一定数はいるし、ハイフレックス型授業だと学びへの動機が弱い生徒に働きかけるだけの余裕は教員にはない。せめて教室に二人くらいはいてくれれば…と思うことも多いが、みんな手一杯なのだ。
働きかけが必要だ…といって、安直に全員の顔を表示させるのを強制するのは悪手だろうということは、去年の休校中でかなり議論されていたことであるけど、上手くいかなくなると、いつもの教室の再現をさせようとする圧力が強くなっているようにも感じるのだ。
こういう状況だからこそ本来は大胆にTTなどの工夫が出来れば望ましいのだけど…人を動かすのは簡単にはいかない。
教える側と学ぶ側がちゃんと向き合う
正直、あまり学校を締め上げても良い方向には動かない。もう絞りきられているような状況である。とはいえ、何も要求されないことをいいことに、このままの状況であっても困る。
非常に当たり前の結論になるが、こういう状況だからこそ、教える側と学ぶ側がちゃんと意思疎通しながら、「これならできそうだ」ということを決めていくしかない。一番よろしくないのは、教える側が画質や音質が我慢ならないような映像を垂れ流してライブ配信したことで授業をした、となってしまうことである。
まだまだ使えるツールも工夫の余地もあるはずだ。
そもそも、何を教えるかと言うことを大胆に検討したって良いはずなのだから。