連休の中日ですが、今月分の「教育評価の基礎講座」をやっていました。
今月の講座がいよいよ実際にルーブリックを作ろうという回だったの勉強になりました。
3年前に本を読んで自己流でこんなルーブリックの勉強会を企画運営していましたが、三年越しの答え合わせをしたような気分です。
本を読んで実践することの大切さ
三年越しの答え合わせであったけど、結論から言えばなんとか校内に向けて嘘をつかないで済んだんだなと思いました。
そりゃあ、説明のつたなさだとかはあるし、さすが本当に様々な現場で検証に取り組んでいるプロと比べたらずさんな点は多くあるのだけど、それでも、現場で観点別評価だとかパフォーマンス評価だとかいう言葉が「なんだか話題になっている?」くらいの時期に、校内で勉強会が出来たのはよかったと思う。
基本的には、本を読んで、その本に書いていることを主観を入れずに、分かりやすく置き換えつつ、そのまま伝えるように心がけただけであるが、それがちゃんと思惑通り出来ていたのかなと今更ながら考えるのである。
その時に参照していたのはこの辺りの本だった記憶。
基本に忠実に、生徒の作品を教員同士で検討し合って、どういう尺度にするか、そしてそれぞれの尺度の特徴をどう記述するかという言葉を色々と検討し合うという方法を、実際にワークショップをしたのである。
「教育評価の基礎講座」の動画での説明を確認しても、自分のやり方が間違っていなかったと一安心である。
三年経っても…
さて、そんなことを三年も前にやっているのだけど、勤務校にパフォーマンス評価がバリバリに根付いただろうか?
そんな甘い話はないのである。
折に触れて、「こういう本がありますよ」とか「こういうことを検討しましょう」とか、草の根運動は続けているから、話は聞いてもらえるし無理の無い範囲で試してくれる人もいるのだけお、全体としては決してパフォーマンス評価やルーブリックの活用がされるようになったなんてことはない。
授業は相変わらずのままであるし、成績だってテストが偏重されるのである。
それどころか、三年のうちの2年はコロナで「評価」だとか「カリキュラム改善」だとかいう余裕が無いくらいには職員室がガタガタしている。仕方ない点は多くあると思うし、コロナ禍をきっかけに職員間での対話の回数は増えているとも言えるので、日々、学校の文化は一進一退なのである。
自分は私立勤めであるので、職員室の文化に対して一方的に遠くから石を投げるようなことはできない。自分も共犯者なのである。だから、三年経っても、なかなか授業の雰囲気に変化が出ないのは、自分も対話不足なのだと反省する。
そしてコロナ禍のオンライン授業だからこそ、もっと「教育評価」について、真剣に職員間で考えなければいけないことは多いはずだと思う。
焦っても仕方ないので、丁寧に伝えられることを伝え、何を自分たちが育てているのかということを表現する言葉を揃えていきたいところだ。
丁寧に語り続ければ変わるよ
自分のこういう試みに対して、ムダだとかどうせ続かないだとか言ってきた人がいますが、三年経ったけど、続いているのである。
そして、変わらないように見えて、着実に出来ることからチャレンジが起こっているケースもある。
丁寧に職員室が対話し続けるしか無いのだ。学校の文化を創るのは当事者の責任であり、楽しみなのだから。