ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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【書評】苫野一徳『未来のきみを変える読書術』を読んで

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今話題になっているちくまQブックスの苫野先生の新刊を読みました。

「ちくまQブックス」という「ノンフィクション読書」のための新しいレーベルが刊行開始。その第一弾シリーズとしての苫野先生の読書術の本。

さっそく楽しく読むことができました。

中高生への期待値の高さ

帯の「難題にもひるまない 最強の頭と目を持つために」というタイトルの通り、この本は本を読み、その文章をまるごと理解して、自分を変えるための方法が書かれている。

「難題にもひるまない」トレーニング方法なので、決してお手軽解決方法ではないのは注意が必要だと感じる。最近流行の軽佻浮薄な読書術の新書のようなノリを期待すると、後述するが、読者への期待値はとても高いため、とても重く感じてしまうかもしれない。

「はじめに」から「あとがき」まで徹頭徹尾「学ぶ」ということにこだわりがある一冊だろう。読書案内の書籍も決して簡単に読み切れるものではなく、何度も何度も読み返すうちに、自分の身に染み渡っていくようなものが紹介されている。

こういう「子ども向けだから」といって甘くしない姿勢はとても共感が持てる。ぜひ、中高生向けと言わず、自分がしっかりと学びたいと思うなら、大学生でも社会人でも手に取って学び方を学んでみるのによいだろう。

「ノンフィクション読書」の面白さとして…

「ちくまQブックス」のコンセプトは「ノンフィクション読書」だという。

そういう方向性があるためか、本書は読書をまつわる色々な「人」の話が巧みに描き出されている。

その中でも、苫野先生の師匠である竹田青嗣先生のエピソード(PP.21-26)が群を抜いて面白い。あまりに鉄人で哲人過ぎて思わず笑ってしまった。

実際のエピソードはぜひ、本書を読んでもらいたいが、本書のスタートが「読書は僕たちをグーグルマップにする」(P.7)という言葉から始まっていることととてもよく対応しているように感じる。頭の中がグーグルマップになっている良い例として、これ以上の哲人であり鉄人である人はいないだろうと思う。

他にも何人も個性的な人たちが紹介されているが、ひときわ目立っており、読書とは、学びとはということを上手く体現したエピソードだったと感じる。

いやぁ…ページ数は大した量はないんですけどね、竹田青嗣先生。でも、ひときわ異彩を放っていますよ…本当。

個性的な比喩で読書の感覚を伝える

本書の特長の一つが、苫野先生の個性的な比喩だ。

例えば「クモの巣電流流し」(P.13)や「投網漁法から一本釣り漁法へ」(P.64)というような言い回しで読書術を伝えている。

ただ、これらの個性的で分かりやすそうな比喩であっても、実はどちらの内容も中高生向けにしては割と手厳しく「学ぶということは時間がかかることなのだ」というメッセージを発しているように感じる。

本書の「メインディッシュ」の部分でもあるので、ここでそれぞれの比喩の具体的な内容を紹介するのは避けるが、一つ、比較で例を挙げてみよう。

例えば、同じように「学ぶ人の為に」という書籍としては、去年、空前のヒットを放った『独学大全』がある。

これは「学べない人のための杖」だったのに対して、こちらの苫野先生の本は狙いが全く異なるように感じる。

中高生向けとは言え、「学ぼうとする人のための車輪」のように、学びを加速するための方法が書かれているように感じる。

このように感じるのも、例えば、最後の「読書ノートの作り方」が、中高生向けというコンセプトの本なのに、「1冊まるまるレジュメを作ること」(P.99)を求めていることなどが指摘できる。つまり、本文から引用をちゃんとしながら、自分の考えをまとめつつ、一冊の構造を丸っと理解する読書を期待するという、大人にとってもかなり高いハードルを期待しているのだ。

本書の一貫した「厳しさ」は、そして変に手心を加えない「優しさ」は、多くの現場で子どもを見て、子どもたちが学ぶことに貪欲でパワフルだという実感を持っているからこそ、こういう期待をかけられるのだと感じる。とても好感が持てます。

読書術のハードルはハードウェアの面でハードルが高そうですけどね*1

本書のメッセージとして思うこと

本書では「”言葉をためる”必要」(P.40)ということが、「知の”構造”を手に入れる」(P.52)、「本当に自分のものにする」(P.84)のように、表現を変えて繰り返し説いているように感じる。

中高生を教えていると、このことの意味をとても深く考える。こういう感覚を教えることはとても手間がかかるし、時間がかかる取り組みだ。大切なのだが、とてもしんどい仕事の一つである。

ところで、このような本書からのメッセージには苫野先生の師匠である、竹田青嗣先生のある文章が思い出される。光村の中学校の国語の教科書に掲載されていた『「批評」の言葉をためる』*2である。

そこでも「言葉をためる」ことの意義が説かれており、本書と通底するメッセージが説かれている。本書において強烈な竹田青嗣先生のエピソードがあることを見ても、まるで苫野先生の師匠から受けた英知を次の世代に送るような、そういう雰囲気を感じられる。

もちろん、本書でも出てくる「さまざまな解釈や考えを持つ人同士の”共通了解”の可能性」(P.93)という苫野先生がこれまでの書籍で繰り返し主張してきたことを「読書」という文脈で価値付けしたと言えると思います。ただ、そういう素っ気ない解釈よりも、なんだか師弟が共鳴し合っているという物語を読んだ方が、自分が楽しいので、そうだと言わせてください(笑)

というか、ページ数としてはそれほど登場していないのに、竹田青嗣先生のエピソードが強烈すぎて、そういう風にしか自分には読めなくなっている(笑)。

なお、この強烈なメッセージ以外にも、「読書」を通じて「人と出会う」(それが現前する人でも、書籍の中にしかいない人でも)ことの深さを述べているように思う。善き人との出会いが「学ぶ」ことの可能性を広げる、社会の中で生きていく時に、今よりも少しでも善くなる……そんなメッセージである。

なるほど、本書は「読書術」の体裁をとりながら、苫野先生の大切にしている価値観が反映された中高生向けの「哲学書」なのだ。

まとめ

ぜひ、「読書」そのもののワザを磨くためにも、そして、それ以上に本書を「哲学書」の入門の書として、中高生によい形で出会って欲しいと感じる。

なお、なお、今回の記事は、できるだけ苫野先生の読書術に習って、本書の引用をしつつ、本の構造を浮かび上がらせて、理解を助けるようなレジュメを書くようなつもりで、書評を書いています。

わずか100ページちょっとの一冊ですが、ちゃんと構造を理解しようと思うとなかなかハードですね。

*1:GIGA端末を手に入れたとはいえ、まだまだ自炊をしたりゴリゴリ電子ペーパーで読書したりというレベルまでは届かないので、紙の時代の読書術も教えて欲しかった(笑)。また、中高生という発達段階や現実的に彼らが持っている道具を考えると、やはり紙の読書の技術の需要はあるとは感じるし、学齢が低いときにはどうしても紙での指導は必要だと思うが、まあ、それは国語科を教える人の責任と仕事かな?

*2:竹田先生の『中学生からの「超」哲学入門』を教科書向けにリライトしたもの。本書の「読書案内」の中でも紹介されている一冊だ。

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