ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

振休のアテなどない出勤

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本日、休日出勤。今後はしばらく休日出勤がかさむだろうなぁ……という暗い気分の週末です。

色々と考えさせられる

休日出勤をしながらこんなことを考えていた。

見た目以上に消耗することがあるのは、自分が生徒にかける言葉に神経をとがらせるようなことが多いからだろうと思う。ねじれた話になるが、生徒に誠実であるためには嘘つきになるような瞬間が来るのである。嘘をつかないようにするために、嘘をつくようなそんなねじれた対応をする。

自分の言葉の軽々しく放たれることに、どっと疲れがでるタイミングがあるのだ。ちょうど、この時期は言葉が軽々しくなる時期なのだ。

じっくりと本を読んだり芸術を鑑賞したりする余裕がなくなっているときは、自分の中の言葉が貧しくなるように感じるのだ。そのことに鈍感であれば、下手に悩むこともないのだが、急に鈍感でいられなくなるターンがやってくると、ぐったりと疲労するのだ。

九月の終わりとともに

さて、色々と疲れ切った九月であるが、来週で終了である。九月の終了に併せて、オンライン授業の無茶も終了になる予定である……が、ハイブリッド授業を止めたからといって、感染予防を望む家庭に教育を届けなくて良いのか?という疑問が残る。

しかし、その対応方法を持つほどに、今の学校は果たして余力があるのだろうか?

色々なケースが考えられるが、全てのニーズに応えるほどの余裕はない。しかし、個別のニーズをただのワガママとも言えない状況ではないかと思う。ただ、今回の世情に関係なく、常に「標準的」な学校からは弾かれてしまっている存在はいるのである。そのことを普段は見ない振りしているのだということも、今回の休校などの騒動で明らかになってきている。

見えているものを、何もしないで流してしまうことも出来ないのではないか?

今後、対応していかなければいけないことは非常に多いのだろう。色々なものが変わっていく、そういう節目に立っているのだと思う。

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