本日も休日出勤。
誰か自分の代休をちゃんと保障してくれるのだろうね…?
循環する仕事
学校という場所の仕事は、一年でだいたい仕事が一周する。
そのため、数年も仕事をしているとだいたいどの時期に何が起こるのかということが予想できるし、その予想の通りに仕事が進んでいくので、だいぶ余裕を持って仕事ができる。
割と年がら年中忙しいのだけど、何が起こるかの予想ができるだけ精神的にはかなり余裕が持てるのである。
普段から超過勤務と休日出勤を繰り返しているわけであるが、それでも精神的に追い詰められないのは、仕事の展開に予想が付いており、多少の余裕を持って仕事を見渡せるからである。
まあ……予想が付いても、仕事の量が減ることがないし、イレギュラーの対応に振り回される運命にあるわけですが……。この辺りの仕事を減らすためには、学校を運営する立場にある人が、本気で仕事を減らす気があるかにかかっているので、自分ではどうにも打つ手はない。諦めの境地である。
まあ、悲観的には書いてみたが、実際に仕事をしていると、それほど苦しいわけではない。だいたい、見通しがついているからである。
仕事の段取りが見えないのはストレス
逆に言えば、仕事の段取りの分からない新人の先生には、この激務で出口の見えない働き方はかなりしんどいように思う。
自分は新人の時に、それほど忙しさを感じていたわけではないけど、自分が就職したときに比べて、はるかに仕事が複雑化しているように思う。学習指導要領の改訂もそうだし、コロナ禍の煽りを受けての様々な対応など……年々、学校は忙しくなっている。
そう考えると、気分が余裕を持てる分だけ、その余裕は新しい仕事が日々振ってくる新人の先生たちのフォローに使うべきなのだろうと思う。
相手は子どもではないので、なんでもかんでもやってあげることがよいとは思わないが、仕事を抱えすぎていないかということや仕事の見通しが分からないことにどうしたらいいかを教えて上げたり、手の抜きどころを教えて上げたり……できることはだいぶあるのではないかと思う。
職員室の力は年々、弱くなっているように思う。それは年齢構成のいびつさであったり主戦力だった先生の生活環境が変わったりと色々な理由がある。
だからこそ、中堅の年齢になっている立場の自分のような人間は、もう少し、色々なものに気をつけていかなければいけないのだと思う。
自分の一人のスキルで解決できる問題はそれほど多くないし、自分であらゆる問題に当たっていたら、実際、倒れてしまう。
自分のことで手一杯ではなく、他人の考えていることや言っていることに目をやれるくらいの余裕を持てるようになりたいところだ。
他人に対して、マウントを取って、働け、やれと辛く当たる意味が無い。