ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

継続することにコツはあるのか

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明日から仕事ですね。

また、こうして怒濤の日常に戻っていく。

そうなると、新年に立てた目標も気づいたら日常に流されてしまうのだろうと感じるのです。

だからこそ、日々の継続が大切になると考えていますが、なかなか継続することは難しい。

自分もうっかり2000日も連続でブログを書いてきてしまったけど、なぜ、そのような継続が出来ているのかということを少しふり返りとして書いてみようと思う。

結論:続けなければ続かない

継続化や習慣化については、世の中に色々なTipsがあることはよく知っている。

自分も色々なことを参考にして、日々、身につけたいスキルについて習慣化して継続できるように工夫をしようと思っている。

ただ、どれほどのTipsを並べても、自分に根本的に切実に「これをやらなければいけない」という気持ちがないものは、継続化することは難しい。

いくらリマインダアプリでポップアップしたところで、生活に忙しくて、自分が何かを取り組もうという気持ちがないのであれば、習慣化することはできない。ポップアップされた通知を無視するだけである。

我々には生活があるのだから、生活に無理をしなければ取り入れられないものを習慣化することは非常に難しいのである。

ただ、不自然なことであっても、意志の力があれば結果的に習慣となってくることはあるだろう。問題なのは、その意志の力というものが全くアテにならないほど、虚弱体質であるということなのだが……。

自分の意志の悪さと折り合いを付けることが、習慣化して継続するということに他ならないのだ。

目標を立てない

世の中に逆張りをするようなことを言っている自覚があるが、習慣化をしたいなら目標を立てない方がいいように思う。

よく言われるように自分の対するハードルを下げてやらないと、継続は始まらない。

理想のなりたい自分という厄介なイメージを持つからこそ、自分が理想になれないことに心が折れる。継続の過程で、自分の稚拙さに腹が立ってくるようになるのだ。

その嫌な印象や耐えられない恥辱が、継続しようという行為から自分を遠ざけることになる。

非常に逆説的だと思う。

習慣化して継続しなければならないことは、自分にとっては達成しなければいけない目標があるからこそ、逆算して継続という手段が必要だという結論を得ているはずだ。

しかし、一旦、継続したいと思うのであれば、目標については忘れてしまった方が良い。

目標に近づかない歯がゆさは継続には敵だ。

もちろん、期日や達成しなければいけない質を一方で管理しなければいけないことは多い。その意味では目標を持つ必要はある。ただ、「日々の継続」に実際に向き合う場面では目標は忘れてしまった方が良い。

このブログに関して言えば、ひたすら書き続けることを自分に課している。その代わり、書く内容については自分へのハードルは下げている。

最悪、飲み会などがあって、書く時間が捻出できないときは、一行書いて終わりというようなこともよくやっている。

人間なので気分が乗らないときもある。そういう時も一行や一言で終わりにしている。

ただ、そういうガス抜きをしながら進んでいるので、大局的にはある程度の分量を毎日書き続けられるのだと思う。

ツールは潤沢に準備しておく

とはいえ、ハードルを下げたところで実践にすぐに繋がるわけではない。そもそも、意識して習慣化しなければならないと思うことは、自分にとっては苦行なのだ。好きなことなら放っておいてもやっている。

なかなか続かない英語学習も、プログラミングの学習も、論文や書籍を読むことも、それが好きで気持ちがワクワクしているのであれば、放っておいても好きでやるのだ。自分が好きじゃないことに向き合うから、意識した練習が必要となる。

自分にとってもブログを書くことは決してストレス解消になるような行為ではない。むしろ毎日書くというプレッシャーを感じる今日この頃であり、苦行になっているような気もしないでもないが、日常においては不自然な行為なのだ。ただ、それを継続することが自分にとっての修練だという意識があるので、あらゆる手段で継続しているわけですが。

不自然なことだからこそ、あらゆる場面で行為をするための準備をしている。

たとえば、ブログの記事のネタを見つけるために、基本的に教育関係の情報をRSSやGoogleアラートなどで追いかけているし、日々の生活の中でも何か無いかと観察するクセは付いている。

また、ちょっとしたアイデアが思いついたときは、すぐにメモが出来るようにPCを使っているときはWorkflowyやGoogleドキュメントへメモを書くし、出先の時はスマホからGoogle KeepやEvernoteやiPhotoのメモ帳にメモやボイスメモを残している。どうしてもスマホが使えない場面では、だいたいロディアを持ち歩いているので、ロディアなどにメモを書くようにしている。

仕事時間以外であればTwitterで呟いておけば、それをそのままブログに転載して、終わりという荒技もあるので、そうして呟いておくという手段を取ることもある。

また、そうして集めたネタをブログに書くための手段も複数用意している。

基本的には自宅の仕事机のパソコンで書いているけど、忙しいときはスマホのアプリから書く場合もある。

アプリを開く暇も無いくらいに忙しいときには、メモ帳などに殴り書きしておいて、隙を見て、最終調整して投稿することもある。

つまり、あらゆる手段を準備しておくことで、目的とする行為までの距離をできるだけ近づけるようにしておくのだ。

今の自分の環境であれば、大きな事故を起こさない限り、1行程度のブログを書く位の時間は毎日取れると信じられる。

こうして、環境がちゃんとあると思うと、継続へのプレッシャーはだいぶ少なくなる。

作業するしかない

最後に、身も蓋もないことを言えば、習慣化して継続するためには、自分が行動するしかないのだ。

だから、どんなに気分が乗らなくても、どんなに面倒だなと思っても、ハードルをできるだけ切り詰めて、自分の行動を行う場所に自分を送り込まなければいけない。

自分であれば、このはてなブログをどんな時間、どんなタイミングでも無理してでも開かなければ、絶対にブログが書けない以上、どこかで無理をしてでもブログを開く。飲み会の時に、トイレに中座した隙に開くくらいのイメージである。

これがランニングや英語学習でも同じだ。

ランニングであれば、とにかく家の外に出なければランニングにならないので家の外に出る気力は必要だし、英語学習であれば英語の素材を手元に持ってきて認知するということが必要である。その目標にアクセスするまでは自分が気力を出さなければいけないのだ。

触れることがないものは、だんだんと廃れていく。

途中まで読んだ本が、いつまでも積ん読になるのは、その本を手に取ることさえ億劫になったときなのだ。

再び結論

かっこいい自分なんて諦めて、毎日、触ることでしか継続は出来ない。

毎日、触って眺めることから続けましょう。毎日、触る気力も起きないものであれば、きっと今の生活には必要ないし、自分とは縁が無いのだ。

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