ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

添削物のピークがやってくる

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今週の仕事もやっと終了。

気づけば二月も下旬を迎えつつある。大学入試も明日からが私立の最難関が始まり、週末には国公立の二次である。

結果を見ていると、私立大も色々と苦慮しているのだなぁ…という印象。

私立大の受験が一段落してきたので、どんどんと添削依頼が溜まってくる。この時期が一番、自分の視野が広がる時期であるよ…。

現代文は手間がかかる

現代文の添削は非常に手間がかかる。

大学入試の定番と言えば赤本なのだが、赤本の現代文の模範解答は……。全く外れとは言わないけど、表現の吟味が甘かったり要素の見落としがあったりするので、そのまま自学自習だけで…というのは難しいように思う。

赤本は全国の大学入試を幅広く集めて模範解答を示しているので、質については例えば超有名大学を専門に取り組んでいるものに比べれば、相対的には厳しいのは仕方ない。

だから、基本的には現代文の添削は自分でゼロから問題を解かなければならないし、自分が解ければよいというだけではなく、それをどう伝えれば生徒に伝わるのかということを考えて、加減を考えることになる。

現代文の場合は「だいたい同じ」だとクリティカルに間違うことがある。ちょっとした類義語に言い換えてしまうことで台無しになることもある。だからこそ、添削を受ける価値があるわけですが、それは添削する側も注意しないと見落とすことになるから……神経を使うのである。

朱を入れすぎない

添削を本気でやり始めると、てにをははもちろん細かい言い回しすら気になって、逐一朱を入れたくなる。しかし、もちろん、それは手厚し指導をしているという自己満足に過ぎなくて、生徒の力になるかと言えば無理である。

国公立の二次で現代文を使うような大学は、国語だけという受験は珍しく、他教科も並行して進めなければいけないので、現代文が無理難題を生徒に返却しても仕方ない。

そもそも朱を入れて力を込めたところで生徒の答案はよくならないのだ。

だからこそ、できるだけ書き込むことは減らしつつも、生徒の考えが偏ってしまっていることや上手く流れていないところを切り離していくような、そぎ落とすような作業が必要になるのである。

意識としては、生徒が試験会場で自分の答案を距離を置いて冷静に見直せるような考え方を伝えるつもりで授業を考えている。

試験会場で戦えるのは自分だけなのだから。自律しなければ意味が無い。

朱入れに生徒を依存させてはいけないのだ。

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