Twitterで回ってきたおかげで注文を忘れていたことに気がつきました。
今回の日本語学。来月から始動する新カリの特集が増えてますね。 pic.twitter.com/WaKpzbZ3eN
— なんばむっと。 (@space_mutto) 2022年3月2日
いよいよ4月から新学習指導要領が始まるわけですが……論理と文学と実用的な文章の話ばっかりしていてカリキュラム・マネジメントの話は後回しだし、そもそも授業づくりをどうするのか(=高校の授業の一方通行偏重をどうするの?)という話には全くならない。
来年から始まる科目が「現代の国語」と「言語文化」だってこと自体をそもそも知っていますか?文学国語や論理国語はまだあと一年あるんですよ!
どの教材を使うかではない
高校の国語科でよくないのが、「どの文章を読ませるのか」という話ばかりに終始しがちであることだ。だから、「羅生門」を載せた載せないみたいな話ばかりで終始するし、定番教材を抜け道的に掲載した教科書に人気が集まるのである。
小説をやらなくてよいということではないし、授業時間数の管理の難しさは非常に感じているところであるけど、そもそも今までの時間のバランスが正当だったのかは問われた方がよいし、多くの時間をかけて何を育ててきたのかということを考える必要はある。これまで教えてきたことのうち、何が本質的に重要なのかを考え、与えられた時間の枠の中で最大限効果を上げるための方法を試行錯誤するのが授業準備なのである。
授業時間数や教科内の領域のバランスは国語科だけの内部の話ではなくて、他教科とのバランスや世間からの要請にも影響されるので、国語の、しかも文学の時間を増やせというのであれば、実用的文章だけを目の敵にしている場合ではなく、他教科に対しても意見をぶつけていくべきでしょう。逆に国語科でやらなくてよいと思う言語活動があるならば、どの教科の責任でやってもらうかを主張して、その教科の責任を主張した方がよいだろうと思います。
話が逸れましたが、「どの教材を使うか」ということばかりに拘泥して、教え方や授業づくりの方法を検討しないのであれば、そりゃあルールが変わっているので何もかも中途半端になってしまう。柔軟に授業を工夫しつつ、生徒に必要な授業を考えるのが仕事であって、今までのやり方をそのまま残すことが仕事ではない。
カリキュラムを見渡そう
学習指導要領の内容が多すぎる。国語科に限った話ではない。
どこも生徒の時間を奪い合うような状況である。パフォーマンス評価についても、全教科で不用意にパフォーマンスを課していくと、生徒が絶対にパフォーマンス疲れを起こすのは目に見えている。
必要な力を保障していき、生徒の生活を破綻させないためには、もっとちゃんと教科内のカリキュラムの系統性や、他教科を見回して連携していくことを考えないと厳しいだろう。