ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

評価と授業設計

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4月からいよいよ高校でも観点別評価が実施される。そのための最後の議論の詰めを行うのが来週の主な仕事になりそうな予感。

評価と授業づくりを行ったり来たり

観点別評価に対応するためという訳ではないが、色々な授業に挑戦しようと思うと、評価をどのようにするのかということをいつも悩みます。

次年度もどこかでリーディング・ワークショップを実施しようと思っていますが、やはりどのように「評価」すれば生徒たちの力をよく見取ることが出来るかという悩みは尽きない。

 

 

色々な評価の仕方が紹介されているのでそれを参考に自分の授業を考える…という感じである。

結局、どのような評価の仕方をするのかという見通しは、その授業、単元でどのような力をつけるのかということと表裏一体である。だから色々な事例を見ても、それをそのまま真似することは出来ず、自分の授業でやりたいことや生徒につけるべき力とちゃんと整合性を考えて、色々と試行錯誤するのである。

 

 

いわゆる逆向き設計論的な発想であると言っていいと思う。

「つけたい力」→「評価の方法」→「授業の方法」という発想だ。

「評価」が先に来ない?

観点別評価が始まるので、評価についての話をしていると上手く話が噛み合わないことが多々あった。

その原因をよくよく考えていくと、この「逆向き設計」的な発想があるかどうかということに起因していると最近になってやっと気づいた感じがある。

どうしても現在の学校の発想は年間で「教えるべき項目」がカリキュラムとして並べられており、「授業」で何をやるのかということは決まっているように思われ散る。だからこそ「つけたい力」とは何かということを考える発想は薄い。だから、「評価」と「授業」についても、そもそも連動して考えるという発想が薄いので、「評価が変わるなら授業設計も見直さないとチグハグになりますよ」という話が伝わりにくい。

今回の評価の改善についても、生徒を値踏みすることを目的としているのではなく、生徒の学びへのフィードバックと授業改善が目的であったはずなのに、特に「授業改善」というところを視野に入れた議論になりにくい。

勤務校でもこの辺りの議論のズレにかなり手こずっているところだが、結局、「じゃあ、この単元で授業ってどうやって作れる?」という話をし始めてから、やっと「評価」で「パフォーマンス評価」が必要になることや「ルーブリック」があったほうが便利になることもあるということが理解として共有されていった感じである。

「評価」をめぐって観点別評価は公平に客観的に評価できないのではないか、ということがかなり揉めるポイントであるのだが、そもそも「つけたい力」すなわち学校、教科での「こういう姿が望ましい」という点をちゃんと議論できていない、そういう議論の必要性を感じていないということが、大いに影響しているように思う。

実際の運用面では評価の基準のすりあわせは必要になるが、やりもしないうちから「ズレ」のことばかり言い出してしまうのは、そもそもお互いの教科観などに「ズレ」があり、そのことをちゃんとすり合わせる議論をしていないという自覚の表れなのだろうと最近は思うようになってきた。

やってみて考えるではない

生徒の成長を期待して、生徒のアクティブさを引き出すような授業……それ自体はいい。でも、やはり教えるべきこと、成長させるべきことは何かということをきちんと見極める目を持つことは教員の責任だろうと思う。

やらせてみて、作品が出てきたら、どんな力がついていたか考える……そういう方向も無しとは言わないが、限られた時間とリソースでそれが本当に望ましいあり方なのかと言われると自分には疑問が残る。

必要なことを見極めて、ちゃんとゴールが見えているからこそ、必要な指導を切り詰めて選ぶことが出来るし、生徒に任せて自由度を持たせてもちゃんと必要な力を育てられるという自信を持てるのだ。

とりあえず、やらせてみるとか、ただの生徒任せとは違うのだよなぁ……。

 

 

大村はまの「教えるということ」を思い出す。

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