ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

自分だけの仕事をしない

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明日から一週間は始業式や入学式まで怒濤の流れ込みである。

来週には普通に授業も展開されるし、どのような形で一年間を過ごすことになるかを少しずつイメージを持ち始めないといけないなあとタスクリストと整理しながら考えています。

今の勤務校で働き始めて10年目になる。

私学なので基本的には人員の異動がないので、役職は年功序列型になるため、10年経っても基本的に自分はヒラのままである。公立であれば二年目や三年目で平気で主任職が回されることを考えると、随分と甘やかされた環境で育ってきたなぁと思う。

だからこそ、丁寧に自分の仕事だけではなく周囲に気を配った仕事の仕方をしなければいけないと思っている。

情報は共有するもの

十年も働いていると自分なりのルーティンやクラスや授業運営のワザみたいなものはいくつも持っている。それに自分はICTのような得意な分野もあるので、ある程度は色々な事態に対処できるだけのスキルは身につけてきたとは思っている。

安定して仕事が出来るとは思うので、例外的で突発的な事態に陥ったときに上手く周りと協力しながら事に当たることが出来れば、たぶん、年度末は生きていけるとは思う。

だからこそ、自分も持っている情報は積極的に周囲に共有していきたいものである。

もったいぶって情報の価値をつり上げることは出来るのだが、そういう働き方をしていたら、結局、めぐりめぐって色々なトラブルを協働して乗り越えることはできないだろうと思う。

一番最悪なのは「聞かれたら教えてやる」という態度になってしまうことだろう。

教員になるような人間は基本的には教えたがりなので、聞かれれば教えたがる傾向にあるので、「聞かれたら教える」というのはある意味で当たり前だ。いや、教員でなくても聞かれたのに教えないというのはよほど性根が悪いか(笑)。

ともかく、「聞かれたら教える」という姿勢は、決して合理的な働き方ではないと思うのだ。能力にでこぼこがありながらも、チームとして生徒に当たっていかなければどの生徒に対しても教育の質を担保できなくなる。教員の当たり外れなんて言葉を生み出している環境は大いに問題があるのだ。

情報を共有することは、時に押しつけがましく、生意気に見える。

情報共有の頻度が高いと鬱陶しがられるだろう。

上手に、軽やかに情報を共有していき、少しでも協力し合える状況を作りたいものだ。お互いがお互いの仕事に関心を持ち、協力できる可能性を探り出すことが重要なのだ。

仕事を周りに振る

自分でやった方が早い仕事、自分でどうにかできる仕事、そういうものは数多くある。しかし、そういう時でも仕事を一人で独占しないで、共有しながら進めていくことを考えたい。

もちろん、自分の仕事を投げて負担を減らそうという話ではない。

色々な人が自分がどのような仕事をしているかを知ってもらうことや何かあったときにちゃんと仕事が引き継げるように、色々なことを共有しながら進めたい。

自分しか出来ない仕事を増やしても、継続して色々な取り組みが成長していかないのだ。

単発で質の高い仕事は一年間に数度は出てくる。

しかし、それを他の人が継続して育てていくということにたどり着くのは非常に難しい。

それだけ仕事に対する思いや価値を共有していくことは難しいことなのだが、そもそもお互いに何をしているのか知らなすぎるのだ。

自分だけの仕事を増やさないということが、今後、自分が歳を重ねていくときには重要なのだと思う。

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